Paraphoto 特定非営利活動法人 国際障害者スポーツ写真連絡協議会

9月27日 (16:37)

Paraphoto Article

金メダルへの道

Writer・吉木稔朗

9月26日
 朝八時半、マラソンゴールのパナティナイコスタジアムへ。途中で応援してからということも考えたが、時間的に余裕がなく、地下鉄の時間もいいかげんなので、すべてをあきらめて、ゴールでの応援に集中することにした。
 会場入り口には、嘉子ちゃん(勇市君の奥さん)と勇市君の弟がいた。嘉子ちゃんが、
「どこからどんなふうに入るのかしら」
と質問をしてきた。ブルーのラインに沿って選手が入ってくることを説明。彼女はブルーのラインを逆さに走ってみるという。ただ、たとえば地下鉄の駅まで行って、そこから応援して、地下鉄に乗って会場に戻るのは難しいことを話す。会場ではテロを警戒したセキュリティチェックがなされているのだ。
 
 ボクと弟の勇さんと会場に入ると、すでに会場での応援組が日の丸の旗とともにゴールのベストポジションを占めていた。ITフロンティア(勇市君の働いている会社)の渡辺さんに挨拶。
 オーロラビジョンで観戦しながら、と考えていたが、ちょっと甘かった。そのような施設はなく、あるのは電光掲示板のみ。スタートしてからの時間が刻まれている。「54分」。そろそろ上りに差し掛かる頃だ。勇市君の走りが目に浮かぶ。
 ボクは応援席の前のフォトエリアに場所を構えた。きっと世界からカメラマンがやってくるだろうから、いい場所を早めに確保しておきたかったからだ。あと1時間半、ここでじっとして勇市君が来るのを待てばいい。そのために今日は朝から水をほとんど飲んでいない。トイレは厳禁だ。
 すると、グランドの中に日本人女性カメラマンが入っている。
「どうやったら入れるのですか」
と尋ねると、
「フォトマネージャーに交渉した」
という。
 急いでフォトマネージャーを探し、中でどうしても撮りたいと説得。中に入れる人数は制限されていて特別のパスをもらった。やった、ラッキー。フィールドの中に入り、フォトポジションを探す。
 と、会場が沸いた。まだスタートしてから1時間半も経っていない。驚いて入場口を見ると、車椅子のランナーが入ってきたのだ。みんながカメラを構えて一斉にシャッターを押す。ボクも慌ててシャッターを押す。誰だか知らないけど、シャッターを押さないでぽかんとしているのは不自然だ。
 スタートから2時間近く経った頃、場内の勇市君応援団が沸いた。どうやら、沿道の応援に行っているメンバーから携帯で情報が入ったらしい。彼らのところに目をやると、勇さんが、人差し指まっすぐ伸ばして、手を高く上げて、ボクに合図をしてくれた。一位だ。「よし!」
とボクはガッツポーズ。それにあわせて勇さんもガッツポーズ。

 ゴール前にあるタイムを写し出している電光掲示板とゴールの瞬間を撮ろうと、ベストポジションを探し、カメラを構えた。フィールド内に入れることを教えてくれた女性カメラマンもボクの隣りで構えている。
 すると係員から、もう、ここを出なさい、と指示がある。最初は何のことかわからなかったけど、別の日本人カメラマンがやってきて、
「だれか苦情を言ったらしい。俺たちは、カメラを構えてはいけない場所で構えたので、出してくれ、と」
と説明する。
係員に、納得が出来ないとしつこく食い下がるが、
「ここに入るには人数が限られている。君たちが長くいたので、別のカメラマンと交代しなければならない」
との説明。
ボクと女性カメラマンと彼の三人が外に出された。
 もとの観客席の前にあるフォトエリアに入り、カメラを構える。このとにに気がついたのは、最初から入っている日本人カメラマンが一人、フィールドの中にいるということだ。もしかして、彼が難癖をつけて日本人カメラマンを追い出したのかもしれない。そうすれば、ベストポジションからの写真は自分だけしか撮れないからだ。ちょっと考えすぎかもしれないが、カメラマン世界の競争を垣間見たような気がした。

 気を取り直して、カメラを構え、シャッターを押すチャンスのシュミレーションを何度も繰り返す。何しろ古い一眼レフカメラなのでマニュアル操作なのだ。
 場内入り口に勇市君の姿が見えてきた。トップだ。勇市君は、足が固まって思うように動いていない。その分手を必死に動かし、前を進んでいる。顔をゆがめながらゴールを目指す姿は痛々しくも感動的だ。
「勇市!!勇市!!」
何度も大声をだした。シャッターを押す手が震えて思うようにいかない。目頭が熱くなってファインダーが見えなくなる。冷静なカメラマンの中でかなり浮いた存在だったけど、そんなことはかまっておれない。
 30mほど後ろには、メキシコの選手がついてきている。なんとか逃げ切ってくれ、祈るような気持ちだ。ラスト300m。メキシコの選手も必死だ。少しずつ近づいてくる。ラスト100m。すぐ後ろまでやってきた。ラスト50mの直線で勇市君とメキシコの選手は歯を食いしばってゴールに駆け込んだ。
 カメラのファインダーから見た光景は、勇市君がわずかに負けていた。ここまでがんばったのに、という思いと、でも銀だ。本当によくがんばった、というねぎらいの思いが交差した。
 
 と、コーチ的存在の永見さんが血相を変えてやってきた。
「ルール違反だ!すぐ抗議しろ!」
と伴走の中田君に叫んでいる。ボクの方がグランドに近いところにいるので、声援で消されがちの永見さんのいっていることを説明した。
「あきらかに、メキシコ選手の伴走者は、選手より前に出て引っ張っている。これがルール違反だ。すぐ抗議してくれ」
と。中田君は、うなずくと、ゴールとは反対側の選手が退場するところへ向かった。ここにオフィスがあって、抗議するならそこでするようになる。
ルールでは、ロードの場合は選手より50cm以上、伴走者は前に出た場合、失格となる、となっている。彼は見とめられたら失格になるのだ。
 ところが電光掲示板では、一位に勇市君の名前が挙がっている。抗議をした様子もないし、不思議な状態が応援団に広がった。いったいどうなっているのだ。勇市君と中田君はインタビューを受け始めているのが見えた。そうか、ボクは行けるのだ。カメラマンとして、フリーに場内を動くことができるのだ。急いで二人のところへ行くと、中田君が
人差し指を立てて、一位であることを示した。本当か、と何度も念を押し、急いで応援団のところに戻り、みんなに一位であることを告げる。理由はわからないけど、とにかく、金メダルだ。それは間違いない。
みんなが沸いた。
 あとでわかった理由は簡単だった。メキシコの選手と勇市君はカテゴリーが違ったのだ。全盲の部の選手ではなかったのだ。
 報道陣に囲まれ、
「一瞬、負けたと思ったときには何を思いましたか」
という質問に、
「ペキンで金をとればいいや、とおもいました」
といって報道陣を笑わせた。立っているのも精一杯の状態の中でのこのサービス精神。勇市君らしくて、ボクはそれの方がおかしかった。

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