アーチェリーは「初代パラリンピック競技」であり、障害者クラスのスポーツとしての歴史は長い。パラリンピックの父、イギリスのグッドマン医師が、1944年・第14回オリンピック・ロンドン大会の年に開催したのが、車椅子アーチェリー競技大会だった。 かの有名なアベベ・ピキラの車椅子でのパラリンピック参加、そしてバルセロナ・オリンピックの開会式のクライマックスでは、スペインのパラリンピック・アーチャーによる聖火の点灯が行われた。離れ技と言われるこの舞台に挑戦したのは、パラリンピアン、アントニオ・レボーロだった。矢はもちろん、見事命中。その年のオリンピック・アーチェリーでスペインは金メダルを獲得している。というように、パラリンピック・アーチェリーはオリンピックとの交流の歴史にも感動的なものがある。
さて、下半身不随となった走る哲学者アベベ・ピキラの障害は重かったが、アーチェリーの他にも卓球やマラソンに挑戦、犬ぞりレースにも参加し優勝したという。41歳で他界している。一方、同じ東京オリンピックマラソンを走り、3位でゴールした日本の円谷幸吉(つぶらやこうきち)は、メキシコオ・リンピックでは更に上の記録を目指したが、周囲の期待に応えられないと判断し、メキシコオリンピックの1968年の新年、遺書を残して27歳で自殺した。アベベは貧しいエチオピアの軍人、円谷は陸上自衛隊員だった。それぞれの人生に競技スポーツへの当時のその国のかかわり方が現れているのだろうか。
・・・アーチェリーから話題がそれてしまった。
【文:佐々木のぶえ】
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