8月7日(土)、アテネまであと40日を迎え、河合純一、酒井嘉和、秋山里奈の3人のブラインドスイマーは、河合選手の郷里へ練習場を移していた。静岡県舞阪町。舞阪中学校のプール。ここは、河合選手の母校であり、いまは休職中の職場でもある。選手の自宅も、ここからすぐのところにある。 雲のかかった空だが、そのまだらな雲の上から突き刺す陽差しが照りつけ、50メートルのプールは、32度くらいに暖められていた。 今日は、毎年行われる河合選手・寺西真人コーチによる「水泳教室」の日。毎日のきびしい練習の合間に、ちょっと緊張感を解きほぐす、レクリエーションのひとときだ。 この水泳教室は、民間でレッスンを受ける機会が少ない視覚障害のある子供たちに、まず、水泳の楽しさを体感してほしいという意図で、シドニーの2000年から毎年行われてきた。今年は、4回目で、子供たちのほか、視覚障害のある生徒への指導を行う地方の盲学校の先生たちも訪れていた。 「こんにちは!」プールサイドに誰かくると、誰とはなしに、大きな声を掛けてくる。「こんにちは!今日はよろしくお願いします!!」こちらも、つい大きな声でかえす。プログラムは、10時からと13時からの2回。炎天下のもと、終始、和やかな雰囲気で行われた。
生徒は、たった1名の参加者だったが、熱心に水泳を教える様子に、河合選手のもう一つの姿を見た。ここ、舞阪中学の社会科の教師であり、「教育」ということが、河合選手の人生のもう一つのテーマのはずである。一緒に教えている酒井選手も、河合選手にぴったりと息があっている。
一方、別舞台に別れて、寺西真人コーチは、盲学校の先生らに、水泳の指導の仕方を教えていた。 水泳教室の最後のあいさつで、河合選手は、「これから僕ら3人はアテネに行きますが、今日、一緒に勉強した仲間が、アテネで頑張ってると思って、応援してください!」と語った。
この水泳教室の後も、選手達は当然のごとく自分たちのアテネのための練習をする。取材で立っているだけで、体力を消耗したこの日、生徒達が帰ると、選手達の練習が始まる。 「相当に疲れていますよね、選手。」と、寺西コーチに話しかけてみたところ、「疲れてる時でないと、本当の練習にならんのです。最後の80メートルでいかに泳ぎ切るかが勝負ですから、疲れている時が練習の本番でしょう」なるほど。だから選手達は当然、というか、あえて疲れの中を泳ぐのだ。
河合選手らは、これまで、都内の25メートルプールで練習していたが、8月に入ってからは、舞阪中学のプールに練習場を移し、アテネのプールと同じ50メートルでの練習に入った。まさに、厳しさを覚悟の練習に挑んでいた。15日、大阪で行われるジャパンパラリンピック・水泳大会、その後の大阪合宿の後は、11日にアテネいりするまで、また都内での練習となる。
【文:佐々木のぶえ 写真:大石智久 8月10日】
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