12日間に及び開催されたパラリンピックがついに幕を閉じた。27日に同大会の観戦に向かっていた高校生らが乗るバスがトラックと衝突する事故で7人が死亡したことを悼んで、閉会式で行われる予定だったアトラクション部分は中止され、時間も3分の1に縮小された。しかしながらそのことを残念とは思わない。命懸けで戦い抜いた選手達の充実感溢れる表情が見られただけで十分だからだ。
スポーツの世界は勝つか負けるか、それ以外の何ものでもない。それでも4年に1度のこの舞台に出場するため、そして頂点を極めるために、選手らが死に物狂いでトレーニングしてきた過程を称える儀式が閉会式なのではないのか。行進している選手達からは、ものすごいオーラを感じた。きっと大会を通していろんなものを感じ取り、吸収したことにより、人間として大きく成長したのだろう。
競い合うことにより、今までの自分にはなかったプラスアルファーの何かが、そこに生まれるのではないか。お互いの限界に挑戦することにより、不可能が可能になる。それが本来のスポーツの姿だと思う。そのことに障害があるとか、ないとかは関係ない。生きることも同じだ。決して生きることは楽なことではない。しかしながらどんな過酷な状況におかれようと、人は己の可能性を信じて、明日に向かって必死に歩み続ける。むしろ障害を抱えるものの方が、より高いハードルを越えようとする強い気持ちを持ち合わせているのかもしれない。それがパラリンピアンズが他のアスリートと大きく異なる点なのだろう
4年後の北京ではどんな人間ドラマが生まれるのであろうか。その日を目指す者、今大会をもって引退する者、どちらも人生という終わりなきレースをこれからも進む。そのことに大きな違いはない。フィールドは違っても誰しもが日々戦い続けている。そのことをこのパラリンピックを通じて痛感させられた。それだけで私は満足である。
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