アテネから北京へ 日本選手団監督 柿谷清さん
「選手全員が、それぞれ最高の試合をすることができました」 視覚障害者柔道選手団の柿谷監督は、アテネ大会を振り返って、こう語った。
日本選手は、マッサージ業を経営したり、盲学校の先生として勤務し、その仕事の合間を縫って練習を続けている。 いわゆる「クラブ活動」としてしか、柔道の練習ができない。そのような環境の中で、代表選手たちは、アテネへ向けてコンディションを整えてきた。結果を見れば、金1つ、銀2つ、銅1つ、合計4つのメダルを獲得。男女7選手のうち4選手がメダルを掴んだ。
柿谷監督は、「練習環境が悪い中で、よくやった」と考えている。しかし、アテネでの戦いを通じて、「日本は、このままではいけない」という思いを、これまで以上に強く抱いた。
日本の視覚障害者の選手のレベルは上がっている。しかし、それ以上に外国人選手のレベルが急速に上がっている。 アテネでは、特に、90kg級以上の階級で外国人選手の躍進が目立った。+100kg級の天川選手が敗者復活戦に勝ち、銅メダルを獲得したものの、90kg級、-100kg級は、ともにメダルを争うことさえできなかった。そして、今回から競技種目に入った女子柔道も、外国人選手と日本人選手の力の差を浮き彫りにした。
外国人選手の中には、柔道で生活ができるセミプロの選手もいるという。日本選手がマッサージ師の仕事と柔道の両立に精一杯の努力をしても、柔道一色の生活で、力をつけてくる外国人選手の勢いには敵わない。 「柔道日本」を実現するには、この現状を変えていかなければならない。
柿谷監督は、「これからは、素質のある選手を強化体制に入れていけるような制度を作らないといけない」という。
たとえば、素質のある視覚障害者選手を、大学や一般企業の柔道部に受け入れてもらえるようにする。企業では、マッサージ師の技術を生かし、社員のヘルスキーパーとして勤務する。そうすれば、生計を立てることができ、柔道にも打ち込むことができる。ひとつの案だが、そのような選手強化の体制を作ることが必要になっている。 そして、女子選手と男子重量級選手は、次の時代を担う選手を発掘し、育成することも課題だ。
アテネから、北京へ。 そして、その先にパラリンピックへ。
外国人選手の躍進の勢いに屈するか。 それとも、アテネを基点に、さらに強い日本柔道を創り上げることができるのか。 視覚障害者柔道の今後が気になる。
【河原由香里】
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