アテネパラリンピック大会−19日 柔道73キロ級に出場した加藤裕司選手が銀メダルを獲得した。 ドイツのジュンク選手に大内掛けで一本勝ち。続いての準決勝は、ハンガリーのビンセ選手とあたり、有効でメダルを確実にした。 決勝戦、フランスのジュナール選手に、開始早々、得意の内股を仕掛けに言ったところを、内股返しで一本取られた。3秒で勝敗が決まった。 試合後に加藤裕司は、笑顔で取材陣に向かって、「いけると思ったんですが。メダルは、いける範囲でいいと思っていたので。しょうがないですね。やりたいことはやったので、悔いはないです。組手で十分いけると思い、行ってみたのですが、相手に逃げられて」と淡々と試合を振り返った。
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「しっかりやれば、勝てる。教えられたとおりやれば勝てる」。メダルのかかった準決勝直前、恩師であり、ソウルとアトランタ2大会の金メダリスト・牛窪多喜男日本視覚障害者柔道連盟理事から国際電話が入った。 加藤選手が、牛窪さんと出会ったのは、視力が低下し、将来に絶望していた中学生のとき。中学校で黒帯は加藤選手だけということを知った盲学校の先生が牛窪道場と視覚障害者柔道があることを教えてくれた。当時、アトランタ大会に向けて道場で練習を重ねていた牛窪選手の後姿を、加藤青年は見て育った。 牛窪さんは8月の強化合宿の際、「視覚障害の選手は30代を過ぎてもまだまだ、伸びます。見て覚えられない分、試合をして、いろんな人の組み手を体験して、強くなるんです。加藤くんは、真面目。練習熱心で、粘り強いんです。減量して81キロ級に出場するのも、この上背の選手が81キロ級には少ないから。戦略です。金メダル取りますよ」と、愛弟子に熱い期待を寄せていた。 しかし、減量し、階級を下げたからとて、日本人である以上、外国選手からのマークは必然。「厳しい戦いは覚悟の上」と、内股で、果敢に打って出た。 「内股は得意だから安心して掛けにいけるんです。他の技は、怖くてかけられない。それではいけないと思っているんですけど」。 その得意技での攻めが裏目に出たのか、決勝ではフランスのヨナール選手に、内股を返され、一本を取られた。わずか開始3秒。相手の鮮やかな返し技に、完敗だった。 表彰式。メダルと花束が渡される際に、何度もていねいにお辞儀をして受けとる姿は、いつもの冷静沈着な加藤選手だった。 今回は、初出場で銀メダル。やはり快挙だ。25歳の彼に、北京の2文字が脳裏によぎったとしても不思議ではない。
◇ ◇ ◇ 日本男子柔道は、3階級で金メダル1つ、銀メダル2つを獲得し、オリンピックのメダルラッシュの気運をうまく引き継いだ。 20日、最終日は、柔道男子90キロ級の宮内栄司選手、100キロ級の松本義和選手、100キロ超級の天川敬史選手が出場する。
【武藤歌織】
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