パラフォトニュース
記事掲載日:2004/05/03

アイススレッジホッケー世界選手権大会を振り返る(1)

photo<波乱の大会>
 「ノルウェーとカナダの2強、それに日本とスウェーデンがどう絡んでくるか」。それが大会前の有力な結果予想だった。ところが今回優勝したノルウェーチームをのぞき、2位以下のランキングはその予想とは異なるものだった。2004年の世界選手権はある意味、「波乱の大会」だったと言える。
 チームの柱となるブラックホークスメンバーの多くが不参加で戦力ダウンが噂されたアメリカが決勝戦まで勝ちあがり、逆に前回世界選手権優勝チームのカナダが4位と低迷。ソルトレークパラリンピックには出場せず国際大会での実績が少ないイギリス、ドイツは、それぞれ格上とみられた日本、エストニアに勝利し、大きく前進した。常に3位以上をキープしている開催国スウェーデンに至っては、地元の声援もあり3位を死守したものの、世界が恐れたような以前のようなキレのある動きはついに最後まで見みられなかった。
 過去の実績が参考になることはあっても、それが必ずしも結果にはならないということを示した8日間だった。

<勝利の条件とは>
 チャンスをものにする勝負強さを持ったチームが上位に入っている。最も基本的なことであり、その難しさは他のスポーツにおいても共通することではあるが、今大会はそれが如実に現れていた。優勝したノルウェーは決勝で、2ピリあたりから息切れしだしたアメリカに対し、4−5−10本とピリオドごとにシュート数を増やし逆転勝ちへと導いた。一方のアメリカも予選の日本戦に勝利したことで波に乗った。1−3とリードを許すものの、最終ピリオドで怒涛の反撃により逆転。1点差に詰め寄られた時点で日本の集中力が切れ、単調なホッケーになったことを見逃さなかった。
 ただそこに技術面での各国の差はさほど感じられなかった。むしろ、追いつめられた際のメンタル面の強さも含めて、パックへの執着心に勝るチームが白星を挙げているという印象だ。これまでの成績から大きく順位を落とした日本、エストニアに足りなかったのはこの点。こういった大きな国際大会で本来の力を出し切れないのは致命傷となることがよくわかる。

<日本の課題>
 納得のいかないジャッジによりたびたび試合の流れが中断したことが影響しているのか、全ての試合を通して、決定力不足が最後まで尾をひいた。勝ち星をあげた予選のイギリス戦、本戦のエストニア戦では、どちらも45分間のうち終始日本がパックを支配していたにもかかわらずシュートが枠に飛ばない。それぞれ19本、21本のシュートを打っておきながら2点どまりだ。しかしその数字より、キーパーと1対1になったときのゴールの確率の低さ、つなぎのパスの悪さ、視界の狭さが気になる。勝利試合の後とは思えない選手の曇った表情からも、納得できる内容でなかったと想像できる。日本が得意とするスピードを活かした攻撃、組織力がほとんど発揮出来ていなかったからだ。たとえば、自陣での混戦からこぼれたパックを拾った選手が一人で相手ゴール前に切り込んでも、それを他の選手がフォローできずにいる。先を読み切れていないことと、決まった攻めの形以外のことが起こったときの5人のとっさの判断に、ばらつきがあるのだ。こういた場面でホッケーの国、カナダやアメリカとの差がでてしまうことは否めない。
 日本にとって今大会の出来を左右するネックの試合となったのが、予選2戦目のアメリカ戦。終盤まで3−1でリードしていたものを、残り10分のうちに逆転された負けゲームだ。この悲劇は、チーム全体に予想以上の落胆の影を落とし、後の試合にも大きく影響した。練習でも覇気がなく、シュート練習でも枠を狙えていない。淡々とメニューをこなすだけのように見えた。選手の口をつく弱気なセリフ。結局、最後は何のために戦っているのかさえ見失っているように見えた。

<今後>
 大会が終わり、約1週間。選手は、日が経てばたつほど悔しさが募ってきているのではないか。以前と同じような練習を繰り返していても世界には通用しないということを痛感したはずだ。大会終了後、中北監督は「この状況を一度リセットするしかない」と話した。メンバーは一度解散し、改めてトライアウトを行い選手選考する。そこで選ばれるのは、「勝ちにこだわる者」と監督は言い切る。また、今大会より、アメリカ・ブラックホークスのスタッフだったジェフリー・ウエノ氏がアシスタントコーチに就任したことで、ホッケーの戦略面での広がりを見せ、またアメリカ選手らを交えた練習などが可能になるとも考えられる。さらに、試合や練習後の選手の体調管理などフィジカル面でのバックアップ体制も万全にしたい考えだ。「海外のチームと日本では、資金面でも差がある。が、出来る限りの最高の環境を選手に与えてやりたい」という監督の言葉が印象的だ。
 2002年に就任した中北監督の当初の計画では、1、2年目で「意識改革とスピード強化、体力づくり」、3年目に「ポジション取りと戦略の修得」、そして4年目で「実践」を身につけること。折り返し地点まできた今、最後の1年を調整にあてるとすると、実質的な練習ができるのはあと1年だ。この時期にさまざまな課題が浮き彫りになったことが良かったのかどうかは、2年後の結果を見てみなければわからない。
 ただ今大会を客観的に見て、どの国も決して日本が「勝てない相手」ではないと感じた。ソルトレークパラリンピック以降、日本の技術は格段にアップしている。今回、海外メディアや関係者からも「日本はプレースタイルが代わり、強くなった」という言葉を聞いた。今回の悔しさをバネに、そしてその経験を活かして日本チームがどこまで成長するのか、注目されているのも事実である。


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【荒木美晴】

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