6月4・5日、新潟デンカビッグスワンスタジアムでジャパンパラ陸上競技大会が行われた。リオパラリンピックを9月に控えた最終選考大会の初日は平均気温25度で、2日目はそれよりマイナス5度と気温の変化があったが両日とも晴天に恵まれた。
大会全般を通して女子100メートルで大西瞳(T・42/ヘルスエンジェルス)がアジア記録を更新、辻紗絵(T47/日本体育大学)が女子100メートルで自身の日本記録を更新、池田樹生(T44/中京大学)が400メートルで佐藤圭太の日本記録を更新した。世界記録の更新はなかった。
エントリーされていたガーナからの選手の出場はなかった。
マラソン選手やリオ出場が確実な選手のうち何名かは出場しなかった。
車椅子トラックT54車椅子
4月から5月にかけて、トップ選手たちの中には、鳥取での日本選手権、リオ(ブラジル)現地でのパラリンピック・プレ大会、ノットウィル(スイス)でのIPCグランプリ転戦を終えて帰国したばかりの選手が多くいた。
「スイスへは行かず自身の走りを見直した」という53歳の永尾嘉章は、男子100メートルで14秒65をマーク、400メートルでも48秒41で、4月の日本選手権での首位と昨年のジャパンパラで奪われた大会記録をそれぞれ奪回した。
「まだまだ負けないよ!スタートと18回目のプッシュ後のギアチェンジがうまくいった!」レース後の永尾は練習の成果が期待通りでたことを話した。今年もリオの代表に選ばれれば、ソウルパラリンピックから8回連続での出場となる。若い車椅子スプリンターが永尾を目標に励んでいる。
永尾と同じ100、400に出場し、ともに2位となったのは23歳の生馬知季(WORLD-AC)だった。2009年アジアユースパラゲームズで発掘され、以後、和歌山でパラ陸連の理事長でもある三井利仁氏のもとで競技を始め、国内で地道な練習を積んできた。4月の日本選手権で永尾から1位を奪った。
競技環境を求めて和歌山県の職員を退職して岡山へ移り、先輩の松永仁志(T53・WORLD-AC)とともに練習している。
ロンドン後マラソンからトラックに進路を決めた樋口政幸は、400、800、1500、5000の4レースに出場。現在800メートルで世界ランク3位だが1500メートルがメイン。前回ジャパンパラで練習のため400に挑戦、第一人者・永尾の大会記録を破るが今回のレースでは永尾、生馬についで3位だった。すでにリオ主力となることが確実な樋口は、2014仁川アジアパラでタイなどアジア勢の走力高まりとともに、世界が大きく力をつけてきたことを誰よりも感じている選手だ。1500はさすがに譲らなかったが、800メートルではタイヤのパンクにより鈴木朋樹に1位を譲った。
樋口は「若い選手が少しでも順位を上げてリオ選考に近づくといい」と話した。2020東京を良い形で目指すためにも、リオでパラリンピックの空気を体験することが大事なのだということをトップ選手たちは身にしみているのだ。
トラックT52車椅子・佐藤友祈
ロンドンパラリンピックの映像を見て競技を始めたという26歳の佐藤友祈(WORLD-AC)は、昨年ドーハでの世界選手権に出場、400メートT53ルで金メダルを獲得して優勝しリオへの日本代表いりが内定している。今大会400メートルで自己ベストを2秒以上縮める58秒20で大会新記録を更新した。佐藤は脊髄炎の影響で両足が動かず左腕にも麻痺がある。競技歴はわずか4年目。岡山で生馬知季(T54)と同様に松永仁志(T53)に指導を受けている。
立位
1日目、女子100メートルT42(大腿切断)で、大西瞳(ヘルスエンジェルス)が16秒90のアジア新記録をマーク、リオへと近づいた。「メインは幅跳びということもあり、リラックスして走れた。16秒台を目指してきた。リオに行けるかまだ分からないが、やっとスタートラインに立てた」と涙を浮かべ喜んだ。
先シーズン、ハンドボールから陸上に転向した辻紗絵(日本体育大学)は、女子T47(片前腕切断)200メートルで日本記録、100メートル・400メートルで大会記録を更新し3冠を達成した。
2つの種目で自らの日本記録には届かず悔しい表情を見せていた。6日発表のパラ陸連によるリオへの日本代表候補選手として選ばれている。
ブラインド
マラソンでリオ代表に内定しているT12の堀越信司(NTT西日本)は、5000mを15分11秒05で走り、自身が持つ大会記録を4秒以上更新した。
IDクラス
昨年ドーハでの世界選手権にも出場し、5000メートルで金メダルを獲得したT20(知的障害)の中川大輔は、今回も優勝。リオパラリンピックでは5000メートルが種目になく、1500メートルでは6位に終わった。
リオへの代表選考大会として華やかな結果とはならなかったが、若手選手の成長が見られる大会だった。東京が2016年招致に向けて開催した「2009年・東京で行われたアジアユースパラゲームズ」がきっかけとなり、パラスポーツの世界に来た選手の多くがいた。彼らはリオに間に合わない場合、2020東京パラリンピックを目標に切り替えるかどうかの見きわめも課され、トップ選手全員が、記録と自分の競技にこだわり、挑んだ大会だった。
フォトギャラリー:1日目の写真・三浦宏之
http://www.paraphoto.org/?p=8794
<参考>
ジャパンパラ陸上競技大会公式リザルト