1月29日、横浜市神奈川区にある横浜市立盲特別支援学校(清水隆宏校長)に、陸上競技に夫婦で取り組む、高田千明選手、高田裕士選手の二人と、オリンピアンで現在は千明選手のコーチをしている大森盛一氏が訪問。視覚に障害のある小学生から高校生までの約50名と教員約40名にむけ、講演と実技を通じた交流を行い、夢に向かいともに挑戦するアスリートの姿を伝えた。
高田千明選手(31歳・ほけんの窓口グループ)は全盲。子供のころからスポーツには何でも自信があったが、18歳で完全に失明してから知り合った伴走者のおかげで、2011年IBSA世界視覚障害者スポーツ大会200メートル走で銀メダル、100メートル走で銅メダル、2014年アジアパラ競技大会(韓国・仁川)走り幅跳びで銀メダルを獲得するなど才能を開花させていった。
日本国内ではトップクラスの実力を持つ千明選手だが、パラリンピックへの出場は2008年北京、2012年ロンドンと選考に破れ続けた。3年前からメイン種目を幅跳びに変更し、リオパラリンピック(9月)の選考レース(4月)に向け、3度目の挑戦へのまっただ中にある。
また、小学1年の子供を持つママさんアスリートとしても夢がある。
「2020東京パラリンピックで息子に綺麗な色のメダルを見せたい!」この想いは、夫の裕士選手と共通の夢である。
高田祐士選手(31歳・エイベックス・グループ・ホールディングス)は、感音性難聴で補聴器を使えばわずかに聞こえる。声で話すことはできるので、見える情報(手話や口話、筆談など)を得てコミュニケーションをとっている。
高校時代は野球部で聞こえる人たちとともにプレーしていた。当時は手話が恥ずかしく、口の動きで相手が何を話しているか読み取る口話中心のコミュニケーションに限界を感じていた。横浜国立大学へ進学してからは肩のケガにより陸上へと転向していった。
聴覚障害のスポーツの最高峰であるデフリンピックに、2009年台北大会(台湾)、2013年ソフィア大会(ブルガリア)と出場。世界ろう者陸上競技選手権大会に2008年イズミール大会(トルコ)、2012年トロント大会(カナダ)と出場。トロント大会では4×400メートルリレーで銅メダルを獲得。現在400メートルハードル日本記録と4×400メートルリレーでアジア記録を保持している。
2017年のアンカラデフリンピック(トルコ)でメダリストになることを目標にしている。
大森盛一コーチはオリンピアンである。1992年(バルセロナ)と1996年(アトランタ)のオリンピックに出場。4×400メートルリレーで現在も日本記録を保持している。2020東京オリンピックで活躍が期待されているサニブラウン・ハキーム選手を小学生時代に指導した経歴をもち、この日の高田選手たちとのプログラムで子供たちをリードしてくれた。
プログラムの前半は、子供たちからの質問に講師陣が応える形で進められ、後半には、オリンピアン、パラリンピアン、デフリンピアンとともに、子供たちと先生らが全員で走りの基本姿勢を身につける実技体験をした。
質問タイムでは、ゴールボールで2020東京パラリンピック日本代表を目指しているという高等部3年の渋谷唯人さんが、「国際大会を目指す上で、自分たちが輝くためにどんな考え方を大切にしたらいいか?」と質問した。
千明選手は「何でも楽しめる、自分の想いを伝えることを大切にしたらいい。自分は何ができるか、考えて、挑戦して吸収した経験を大事にすると、輝いている人になれる!」と語った。
裕士選手は「とにかく小さなことでもいいから、夢や目標にチャレンジしつづけることが大切だ」と話した。
実技では、生徒と教員が体育館いっぱいに広がって、大森コーチとの「体でジャンケン大会」から始まり、千明選手がモデルになって走るための基礎トレーニングを披露。生徒と職員は体育館の端から端へ何度も走ったり歩いたりする練習を重ねた。
後で大森コーチは、「見えない人に伝える工夫が必要で、最初はどうなるかと思ったが、先生方が頑張ってくれたおかげでクリアでき、100点満点!支え指導する人が大事です」と感想を述べていた。
最後に、生徒会長がお礼のあいさつをし、子供たちお手製のおみやげの紙袋が贈られた。手作りのキャンドルや陶マグネット、紙漉きした封筒が入っていた。視覚障害者の多い場所ではあたりまえのことだが、ラッピングやメッセージカードには漢字やひらがなの色による文字ではなく、点字が打たれていた。おそらくそこに感謝の言葉などが書かれているのだろう。点字を読むことのできない取材陣は推測するしかない。日頃、見える人の多い場で見えない人はつねに不自由を感じていることが体験できる時間となった。
1日のプログラムはにぎやかに行われ、終わった。誰もが協力して場作りを楽しめる授業となった。
写真:松田一志 編集:佐々木延江