関連カテゴリ: 地域, 東京パラムーブメント, 水泳, 神奈川 — 公開: 2015年11月19日 at 7:06 AM — 更新: 2020年1月12日 at 10:26 AM

障害・パラリンピック・将来へ夢をかなえるために。河合純一が横浜の北山田小学校を訪問

知り・知らせるポイントを100文字で

投稿はこちら(メールソフトが開きます)

創立20周年を迎える横浜市立北山田小学校に講演にきた河合純一
創立20周年を迎える横浜市立北山田小学校に講演にきた河合純一

 11月17日、横浜市都筑区にある、横浜市立北山田小学校(松井佳奈子校長)に、パラリンピック水泳で、金メダルを含む21個のメダルを獲得した全盲のスイマー・河合純一選手が訪問。体育館に集まった1年生から6年生の児童約450人にむけ、障害やパラリンピックのこと、将来、どうやったら夢をかなえられるかなど話した。
 同校の創立20周年にあたり、講演は記念行事の一環として行なわれた。横浜市では2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を契機に市内のスポーツ振興と機運を高めるために市民局などが企画し市内の小学校にオリンピアン、パラリンピアンを招き、特別授業を行っている。

 河合の話は、まず、身体に障害があっても、日常生活をどうしたらできるか、考え、工夫する大切さを伝えるために、「目の見えない人が、時間を知る方法が3つあります。一つは携帯電話の音声、2つ目は視覚障碍者用の点字がでるパソコン、3つ目は人に聞く」と、自分がいつもしていることを話し、携帯電話の音声を再生したり、視覚障害者用パソコンを見せて、どうやって時間を知るか教えた。

DSC_0062

 中学校の先生もしていた河合の「小学生の頃の夢」は毎年変わり、1年生がケーキ屋、2年生が総理大臣、3年生がJRの職員だった。4年生で担任の先生との出会いがあり、給食もいっぱい食べられる学校の先生になりたい!と思ったそうだ。

 そして、パラリンピック5大会連続出場で合計21個のメダルを獲得するまでを語り、金メダルを見せて、生徒たちに計算させたり、質問したりしながら、夢をかなえるためには、「夢を持ち続ける」「仲間を作る」ことが大切だと話した。

 来年7月、都筑区内にある横浜国際プールで、日本最高峰のパラリンピック水泳の公式大会(ジャパンパラ競技大会)が予定されている。リオ・パラリンピック直前の時期であり、日本代表選手の国内での最終レースとなる。また、5年後の2020年、東京パラリンピックには、ぜひ応援に来てほしいと呼びかけた。
 
 子供たちは熱心に、目を輝かせて話に聴き入っていた。最後に、お礼の言葉と、赤いシクラメンの鉢が贈られた。

<参考>
 河合純一の講演は、11月21日(土)13時より、横浜市立大学で開催される神奈川県主催の「第3回かながわパラスポーツフェスタ」でも行なわれる予定となっている。2020東京オリンピック・パラリンピック開催にむけ、東京の周辺地域・横浜でもパラリンピアンの活躍を伝えるプロジェクトが計画されている。
 パラリンピックに注目することで、知らなかったスポーツの場面にたくさん出会うことができそうだ。

【参考:第3回 かながわパラスポーツフェスタ】
 http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p969927.html

【河合純一プロフィール】
 1975年、静岡県浜松市生まれ。5歳から水泳を始め、15歳で全盲となってからも水泳(競泳)への夢をあきらめずに挑戦。バルセロナからロンドンまで、パラリンピック6大会連続出場し、50メートル自由形で3大会連続金メダルを達成。合計5個の金メダルを含む21個のメダルを獲得。2000年シドニーで日本選手団主将。2004年アテネでは水泳チームキャプテンを務め、日本最多の52個のメダル獲得に貢献した。
 筑波大学付属盲学校(現・筑波大学付属視覚特別支援学校)を経て早稲田大学卒業、同大学院教育学研究科修了。1998年、母校である静岡県浜名郡舞阪町立舞阪中学校(現・浜松市立舞阪中学校)に社会科教師として着任し、子供たちに教えた。

(編集・佐々木延江)

この記事にコメントする

記事の訂正はこちら(メールソフトが開きます)