「パラスポーツの街づくり」きっかけは、写真展の呼び込み!?
旭川での街づくりは、ウインタースポーツと障害者を中心に、この10年ですすめられてきた。
車椅子ユーザーの五十嵐真幸さんは、学生の頃は旭川で不自由なく育ったが、卒業して仕事を探し始めると、障害者の就職は難しかった。
五十嵐さんは、障害のある人をサポートする企業に就職し、2006年トリノパラリンピックの写真展を担当。
会場にお客さんを呼びこもうと、駅前の商店街でチラシを配ったところ、街の人々との交流が生まれ、来場者が増えていった。車椅子でチラシ配りをする姿は当時は珍しく、パラリンピックともマッチして、写真展のよい宣伝になったのだ。
パラフォトと旭川
旭川で行われた写真展のうち「増える写真展」がある。パラリンピック会場から、日本国内の公共スペースなどへいち早く写真を送り、写真プリンターで出力、できた写真パネルから展示し、日々写真を増やして行く。パラリンピックに最も近い場所を作ろうとパラフォト(当媒体)の取材者の提案で、全国各地に写真展会場を募ったところ、旭川からの応募が多数あった。
最初は、2004年・アテネパラリンピック増える写真展で、アイススレッジホッケー・永瀬充選手が開催してくれた。冬季パラリンピック日本代表選手が、夏季パラリンピック日本代表選手を応援する写真イベントは、イオン旭川西ショッピングセンターの広場で16日間ひらかれた。
2006年・トリノパラリンピック増える写真展は、旭川市役所など市内13の会場で開催され、パラリンピック写真展が旭川の街全体で開催されることとなった。