関連カテゴリ: サッカー, デフサッカー, デフスポーツ, デフリンピック, 取材者の視点, 新着, 東京, 観戦レポート — 公開: 2025年4月5日 at 7:00 AM — 更新: 2025年4月5日 at 8:05 AM

「心に響くサッカー」~デフサッカー男子日本代表VSクリアソン新宿 

知り・知らせるポイントを100文字で

「本気で世界一を目指す」デフサッカー男子日本代表が、現在JFLで首位を走るクリアソン新宿と国立競技場でエキシビションマッチを行い、11月開催のデフリンピックへ向けての大きな一里塚となった。

夢の舞台 国立競技場

聞こえない、聞こえにくい人々のオリンピックであるデフリンピックが、今年11月、日本で開催される。その「第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025」に参戦するデフサッカー男子日本代表が、4月2日、JFLクリアソン新宿とエキシビションマッチを行った。
会場は東京新宿・国立競技場、天皇杯決勝や高校サッカー準決勝・決勝、かつてはW杯予選も行われた、いわばサッカーの聖地でもある。

キャプテン松元卓巳を先頭に国立競技場のピッチへ入場してくるデフサッカー男子日本代表の選手たち   写真・内田和稔

試合前の国歌斉唱では、デフサッカー日本代表の選手たちは歌詞を手話で表現。キャプテン松元卓巳は、母校鹿児島実業サッカー部が決勝に進出してもスタンドにしかいれなかったこと、その後デフサッカー日本代表となったが、劣悪な合宿での環境、自費でユニフォームを購入しての自腹での国際大会への参加等、19年間の出来事が去来し涙をおさえることができなかった。
その姿を見た元日本代表のクリアソン新宿北嶋秀朗監督は、松元たちの思いを感じ取り「日本代表のエンブレムが本当に嬉しいんだろうな」と心に響くものがあったという。
その後のキックインセレモニーでは、元日本代表で障がい者サッカー連盟会長北澤豪が審判にではなくデフ代表選手へキック、不意をつかれた選手は上手くトラップできなかったが元日本代表から現日本代表へとつなぐパスとなった。

試合前の国歌斉唱 歌詞を手話で表現する選手たち  写真・内田和稔

デフサッカー男子日本代表の歩み

男子サッカーチームがデフリンピックに初めて参加したのは、1985年開催の第15回アメリカ大会。デフサッカーが盛んだった北海道の選抜チームが出場した。その後アジア予選が始まり、予選を突破して出場を果たしたのは第20回メルボルン大会(2005年)。続く第21回台北大会(2009年)にも予選を突破し出場。紙一重のところでベスト8進出を逃し、16か国中12位の成績で大会を終えた。2012年5月に開催された第7回アジア太平洋ろう者競技大会ではイランを破り初優勝したが、第22回ブルガリア・ソフィア大会(2013年)は16チーム中14位に終わった。

第23回トルコ・サムスン大会では、予選リーグ第1戦で強豪ウクライナに古島啓太のゴールなどで2-1と勝利。当時の中山剛監督はウクライナの試合映像を何十回も見直してウクライナのわずかな綻びを見出し、その弱点をついて勝利することができたという。2戦目はアルゼンチンに前半2点のリードを許したが、西大輔のゴールなどで同点に追いつき引き分け。第3戦イタリア戦は林滉大、古島啓太のゴールで2点リードし引き分け以上でベスト8進出を決めることができたが、後半アディショナルタイムに逆転ゴールを決められ決勝トーナメント進出はならず、いわば「サムスンの悲劇」と呼ぶべき試合となった。

第24回ブラジル、カシアス・ド・スル大会ではさらなる躍進が期待されたが、2019年11月デフリンピックアジア予選を兼ねたアジア太平洋ろう者競技大会が香港で開催予定されていたものの香港の政治的混乱があり中止。その後2021年6月にイランでアジア予選が開催されたが、日本チームはコロナ禍のため参加を断念。年々実力の上がっている日本チームは予選に参加していれば当然突破できたと思われたが、ブラジルデフリンピックへ出場すること自体が叶わなかった。
(尚、ブラジルデフリンピックに出場した日本選手団は大会途中で全競技を棄権した。女子サッカーチームも大会に参加していたが3位決定戦に出場することはできなかった。その時の状況はこちらの記事 ブラジルデフリンピック未完の闘い を参照)

代表活動はブラジルデフリンピックまでと決めていた選手も少なくなかった。副キャプテンの古島啓太もそうだった。東京でデフリンピックが開催されるのではないかという情報もあり「もし東京で開催されるのなら、こんなところでやめられない」と活動継続を決意した。
「それまでは一般企業で残業しながら仕事をしていたが年齢のことも考えるとパフォーマンスも落ちるので環境を変えようと、3年前にパラアスリート雇用という形で住友電設に転職。そこから仕事とトレーニングが両立できるようになりパフォーマンスもあがってきた」のだという。
また古島のみならず個々の選手たちの「サッカーやトレーニングに向き合う時間が増えてきていることが、チームの底上げにつながっているのではないか」という。
例えば林滉大はかつて、湯野琉世は現在、ドイツにサッカー留学をしている。

2013、2017年大会に出場した古島啓太 選手入場では2人の息子とともにピッチへと向かった  写真・内田和稔

また松元キャプテンは「今までは意識が個人個人でバラバラなこともあったが、世界一を本気で目指すというベクトルの元、全員が同じ目標に向かって、日々のトレーニングや過ごし方を意識できるようになったおかげでチームの総合力も高まった」と感じている。
そういった流れのなか、2023年10月開催のデフサッカーW杯(マレーシア)では、植松隼人前監督の元、史上初の準優勝。大会MVPには岡田拓也が、優秀ゴールキーパー賞は松元卓巳が選ばれた。
2024年5月には吉田匡良新監督が就任、同年末のアジア太平洋ろう者競技大会では優勝を果たした。長男が難聴児の吉田監督は補聴器を付けていた林滉大に出会ったことからデフサッカーの存在を知り、その後監督に就任。「息子がつなげてくれた」という。
デフサッカーは声による伝達や連係ができないためマークのずれなども起きがちで、とにかく見ること、見て周囲の状況を把握しておくことが重要だ。吉田監督は「5秒に1回、周りを見ることを意識づけ、見えないところは皆でカバーする」ことをチームに徹底してきた。

デフサッカー男子日本代表吉田匡良監督、東福岡高校では国立競技場で全国優勝を経験  写真・内田和稔

キックオフ

デフサッカー男子日本代表のスターティングメンバーは、GK松元卓巳、DFは右から奥元伶哉、斎藤心温、湯野琉世、名村昌矩の4バック。ボランチは岡田侑也と堀井聡太。2列目右に林滉大、中央に岡田拓也、左に古島啓太、1トップに西大輔の4・2・3・1の布陣。
一方のクリアソン新宿は、GK浅沼優瑠、DFが右から澤井直人、鈴木翔登、竹内諒太郎、相沢佑哉、ボランチに須藤岳晟と中山雄登、右に猪野毛日南太、左に小島心都、2トップは小池純輝、佐野翼の4・4・2。4日前のJFLリーグ戦ヴェルスパ大分戦に先発出場した選手は全員がベンチ外となり、先発11人中6人は今シーズンリーグ戦でいまだ出場のない選手となったが、翌週水曜には天皇杯出場のかかる試合が組まれており、だからこそのモチベーションの高さも予想された。
前日デフ日本代表のディフェンス陣は、クリアソンのクロスボールへの対策を行った。その甲斐あってかクロスにはしっかりと対応、GK松元もパンチングで大きく弾き返す。

センターバック斎藤心温はクロスボールを跳ね返し、集中した守備をみせた  写真・内田和稔 
奥元伶哉は右サイドで粘り強い守備をみせた  写真・内田和稔

しかし攻撃面ではボールを奪ってもすぐに奪い返され、ロングボールも回収され、なかなか相手ゴール前まで持ち込めない。またデフ代表の選手たちはスリッピーな天然芝に対応できない部分も見られた。
そして21分、CB湯野がボランチ岡田侑也からのリターンパスをGK松元にパスしようとするが足をとられ、その隙を見逃さないクリアソン小池純輝がボールを奪いゴールネットを揺らした。パスの精度、トラップ、ポジショニング、様々なミスが重なっての失点だった。
だが即座にデフ代表の選手たちが一か所に集まる。「僕らは聞こえないし、動きながら声を出して修正するのは難しい。失点したあと必ず集まって修正したり、どうやって戦っていくのか全員で再確認する」のだと松元キャプテンはいう。岡田侑也が「落ち着いていこう」と声をかけ、湯野もOKサインで答えた。

失点後、即座に集まり意思統一を図る選手たち  写真・内田和稔

その後、しばらくするとボランチの堀井、岡田侑也の一人が下がってCBと3人でボールを回すようになり、デフ代表にも落ち着きが出てくる。岡田侑也は「相手が2トップでくることもリサーチ済だったので、時間を作るためにボランチが1人おりてきて3人で回してゆっくりビルドアップしていこう」という話は監督からも選手からもあったという。
だが「なんとなくはうまくいっていたのですが、そのあとのイメージがなく」そこから前にはなかなかボールがつながらない。
サイドハーフの古島も「サイドに張ってボールが来るのを待っていたがなかなかボールが来ず、全体が間延びさせられた」と感じていた。

ボランチの堀井聡太、岡田侑也と交互に最終ラインに下がりビルドアップの起点になった  写真・内田和稔
ボランチの岡田侑也 強豪チームと対戦して出た課題をデフリンピックに向けてつなげていきたいという  写真・内田和稔

その後デフ代表はトップに林、右サイドハーフに古島、左に西とポジションを入れ替える。
その西がクリアソンのCKからのクリアボールを拾うと高速ドリブルで相手ゴール前まで持ち込んでシュートを放つが、クリアソンの選手に当たってCKとなった。CKからのカウンターは岡田侑也が激しいディフェンスで止める。裏へのロングボールも右SB奥元がきっちり対応、追加点は許さずハーフタイムをむかえた。

プレーが止まった時に手話で意思確認するCBの湯野琉世(5番)とボランチの岡田侑也(手前) 湯野は現在ドイツのチームでプレーしている  写真・内田和稔
ベンチからも必要な情報を視覚的にわかりやすい形で伝える  写真・内田和稔

後半に入るとGK松元からロングボールではなく自陣からつないでビルドアップするようになり、ボール保持の時間帯も増えてくる。
56分には林に代え、ポストプレーが得意の岡井舜がトップに入る。その後、西や岡田侑也の粘りからFKのチャンスを得るが得点には結びつかない。
64分、岡田侑也から浮き球のパスが岡井へ、岡井が落として西へ、西はセンターサークル付近からロングシュートを放つが惜しくもクロスバーの上。

西大輔はこの試合4本のシュートを放った  写真・内田和稔
前線からプレスをかける交代出場の岡井舜 ポストプレーで起点を作った  写真・内田和稔

68分クリアソンの猪野毛のシュートは松元がしっかりとキャッチ。
74分には古島に代え原田優哉が、76分には名村に代わり桐生聖明が入る。名村はJFL開幕戦でゴールを決めた猪野毛を止めるなど「レベルの高い相手に対して通用できる部分があった」というように、いい対応も目立っていた。だが「自分一人に対して2人3人目が関わってきて、連係がすごくうまくて難しい」ことも感じていた。

左サイドでクリアソン新宿の猪野毛日南太(25番)と渡り合う名村昌矩(2番) 写真・内田和稔

81分にはクリアソン小島のポストに当たるヒヤリとしたシュートもあったが、岡井のポストプレーからのつなぎや西のドリブル等、得点への期待を抱かせた。
85分には岡田侑也に代えて星河真一郎が、88分には斎藤に代え江島由高が入る。

そうして迎えたアディショナルタイム、GK松元が岡田拓也へパスを出すと、クリアソンの小島が岡田の背後から体を寄せてボール奪取しループシュートを決めた。聴者のサッカーであれば声で知らせて危機回避できた場面でもあった。岡田拓也は「残り時間がないなかで攻撃に転じたくてSBの桐生にもっと上がってと要求していた。目線をそちらに送ってしまっていたので(松元)卓巳選手と目線があっていなかった。目線があった時にはボールが出てしまっていた」と失点場面を振り返った。
吉田監督は「聞こえないことを言い訳には絶対しない。聞こえないですますと次につながらない。聞こえる聞こえない関係なく、ああいうミスを減らすためには日頃からの集中力や積み重ねをやっていかないと、ああいうことは起こる」と先を見据えた。
試合はそのまま2-0で終了した。

トップ下に入った岡田拓也はなかなか思うようなプレーをさせてもらえなかった 写真・内田和稔

「心に響くサッカー」はできたのか

古島はクリアソン新宿の印象を「経験値が高くチームとして試合の入り方がうまい。パス、トラップの質の差を感じた」という。「天然芝でのパスの質、トラップの質を上げていかななくてはならない」
岡田拓也は「ビルドアップの部分が課題、突き詰めて少しでも改善していきたい」
岡田侑也は「ボランチが1枚下がって内容が良くなったとしても結局結果につながらなかったら意味がない。内容にもこだわりながら結果にこだわって、デフリンピックで金メダルという結果を出せるように頑張りたい」と、各々の選手たちがデフリンピックでの世界一を見据え課題を口にした。
クリアソン新宿の北嶋監督はデフサッカー日本代表の印象を「ゴール前のところはすごく固かったですし、何よりボールに対しての思いみたいなものがのっかっていた。うちの選手たちは球際強いと思うんですけど球際で負けてしまうシーンもありましたし、殺気立っているというか研ぎ澄まされているというか、そういうところを日本代表からは感じた」という。
デフ日本代表吉田監督は「心に響くサッカーをやりたい。何か感じてほしい」と前日練習で語っていたとおりに、デフ日本代表選手たちのプレーは元日本代表選手北嶋監督の心を響かせた。そして観客の心も響かせただろう。
逆に観客のサインエールでの応援も選手たちの心に届いたようだ。サインエールはデフアスリートに想いを届けることができるよう、目で世界を捉える人々の身体感覚と日本の手話をベースに創られたもので、「行け!」「大丈夫、勝つ!」などがある。デフアスリートに届ける新しい応援スタイル『サインエール』

サインエールで見える形で選手たちを応援する観客  写真・内田和稔

キャプテンでGKの松元は「たくさんの人が一つの手話をやると見える。声は聞こえないが熱気は伝わる」という。フィールドプレイヤーはなかなか観客席に視線を送ることができないが、林は「手を使っているので目にはいる」、古島は「ちらっと見た程度ですが迫力は伝わった。頑張って前を向こうとパワーをもらった」と語った。
尚、来場観客数は3,808名だった。

試合終了後、サポーターに挨拶する松元キャプテンと選手たち  写真・内田和稔

デフスポーツの魅力とは

筆者が最初にデフサッカーを見たのは2006年、その後2009年台北、2013年ブルガリア・ソフィア、2024年トルコ・エルズルム(冬季)と3つのデフリンピックを生で体感した。その間、デフスポーツの魅力とは何だろうと考えた。
デフスポーツを深く理解するためには、手話や聴覚障害に関することを正しく知ることが重要なのはもちろんだが、パラリンピック競技のように「見えないのに凄い」「片足がないのに凄い」等、見た目にわかりやすい特徴はない。聴者の国体にも出場するレベルの高いデフアスリートもいるが、聴者のプロレベルから見れば「あまり上手くないサッカー、少しレベルの落ちるスポーツ」である。

その答えが見えたように思えたのは、2013年ソフィアデフリンピック女子バレー準決勝アメリカとの痺れる試合を間近で見た時だった。本当に心が震えた、揺さぶられた。北京五輪にも出場した狩野美雪監督は大会前の合宿で「ただひたすら勝つために、チームが勝つために、自分が何ができるか。それだけを考えてほしい」と選手たちに語りかけ、そのことが実践できた試合だった。
(その時のブログの記事)デフリンピック通信8~女子バレーチーム決勝進出!

ソフィアデフリンピック デフ女子バレー準決勝
写真・中村和彦

デフ女子バレー代表は、その後のトルコ・サムスンデフリンピック(2017年)で金メダルを獲得、ブラジル、カシアス・ド・スル大会(2023年)では準決勝目前で日本選手団全体が競技棄権を決めたため連覇は絶たれた。
ソフィアデフリンピック当時は、男女サッカーとも個々の選手の頑張りはピッチから感じ取ることはできたものの、女子バレーと比べて「人の心に響く」段階まではいっていないように思えた。

しかしその後、デフフットサル女子日本代表は「本気で世界一を目指し」2023年のW杯で本当に世界一となり、心が震えまくった。デフフットサル女子日本代表 W杯世界一!!!
デフフットサル男子日本代表は同大会で3位、トルコ・エルズルム冬季デフリンピックでは準優勝と躍進、心に響くプレーを見せてくれた。(この大会より冬季デフリンピック競技としてフットサルが加わった)
デフリンピック滞在最終日 男子フットサル代表銀メダル獲得

トルコ・エルズルム冬季デフリンピックで準優勝したデフフットサル男子日本代表  写真・中村和彦

以前のデフサッカーは日本のデフスポーツ全体のなかでは、人数だけはやたらといるという存在のようにも思えたが、もはや現在のデフサッカー男子日本代表は選手団全体を引っ張る存在、「心を響かせる」存在だろう。
家族や友人や関係者だけではなく万人の心に響くのは、内容と結果にこだわり日々のトレーニングを積み重ね、「ただひたすら勝つために、自分が何ができるか。それだけを考えて」プレーする姿だろう。
デフサッカー男子日本代表が「心に響くサッカー」を見せてくれることは間違いないだろうが、最高の結果が期待される。
歓喜の地は福島県Jヴィレッジスタジアム、歓喜の時は11月25日。

闘い終えた国立競技場 写真・内田和稔 

(写真協力・内田和稔 校正・佐々木延江)

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