11日間の熱戦が繰り広げられたパリ2024パラリンピック競技大会のうち10日間・600人を超える選手がパリ・ラ・デファンス・アリーナで水泳の141の決勝レースに出場、22のワールドレコード、56のパラリンピックレコードを更新した。コロナ禍を経た3年間の短い準備期間で、中国(金22個)は依然として強さを維持し、イギリス(金18個)、イタリア(金16個)、次期開催国アメリカ(金10個)と続いた。
日本チーム22名は、金メダル3個、銀メダル3個、銅メダル6個の12個のメダルを獲得(全体11位)前回東京大会と同数を維持し、ベテランを中心に前回大会開催国の意地を見せた。
ベテラン選手の牽引から若手へ繋ぐ
大会初日、アテネ大会(2004年)から6大会目・37歳の鈴木孝幸が16年ぶりに男子50m平泳ぎSB3自己ベスト(48.04・日本新)を更新し金メダルを獲得。水泳チームだけでなく、日本チーム(TEAM JAPAN)を勢いづけた。鈴木は出場個人4種目全て(100m自由形・銀、200m自由形・銅、50m自由形・アジア新36.85・銀)でメダルを獲得した。
「自分より早いタイムの選手がいたのでまずはベスト更新を目指して泳いだ。その後もありがたいことに自己ベストが出せ、残り3種目でもメダルが取れて嬉しく思います。残念だったのは混合4×50m20ポイントリレーです。メンバーはとても若い選手なので今後彼ら彼女たちが中心となっていくことを期待しています」と鈴木。
そして「やはり今回有観客で非常に盛り上がる中でパラリンピックのレースができたこと、そこにしっかりと照準を合わせられて、ベストパフォーマンスを出せたことは非常に幸せだった」と大会を振り返った。
木村、2つの金
木村敬一は、男子50m自由形S11(日本新記録・25.98)と、100mバタフライS11(大会新記録・1:00.90)では見事に2連覇を果たし、集中した2レースで2つの金メダルを獲得した。
「これ以上ない完璧なレース」と自賛する木村。チームスローガンの『熱狂』をまさに味方につけた木村は、北京大会から5大会目に3つ目の金メダルを手にした。東京大会後、オリンピックメダリスト星奈津美コーチと共にフォームの改善や技術的な練習を積み重ね、その成果を存分に発揮した。
富田は、選手であり、ファンである
富田宇宙は、2017年にクラス変更で全盲クラスとなり、2019年の世界選手権から木村と世界トップを競い合う。男子400m自由形S11と100mバタフライS11で銅メダルを獲得。東京大会と同じ種目で順位こそ落としたが連続メダルをキープし、ベテランの意地を見せた。富田は、自分が選手であり続けるかも含めて「パラスポーツに最も貢献するあり方を選びたい」と考えている。東京大会後、スペインに練習拠点を移すなかでヨーロッパ社会のスポーツと障害の関わりに接して学んだ。
「パリで有観客しかも素晴らしい盛り上がりの中で泳がせていただいた。水泳チームでも『熱狂』というスローガンを掲げてその中でいいパフォーマンスを出せた。銅メダル2つという結果でしたが、これを力に今後の活動をしていきたい」
窪田、悔しい銀メダル
大会3日目の男子100m背泳ぎS8で、前半から飛ばしていくタイプの窪田幸太は終盤に強いスペインのライバル イニゴ・リョピス サンスに敗れた。2度目のパラリンピックで、大声援の中では初めてのパラリンピックだった。落ち着いて挑むことができたが、昨年の世界選手権(マンチェスター2023年)を繰り返す結果に悔しさを滲ませた。ベストが出せれば僅差で勝つことができるタイムだった。
「東京大会では決勝ライン、今回は金メダルを目指した。今回の悔しさを4年後のロスに向けて取り組んでいきたい」と3年前は大学生、所属を得て水泳を仕事とする社会人となった窪田はパリで決意していた。
山口、骨折でも銅メダル
楽しみにしていたパリ直前の7月、練習中の怪我で左足の小指を骨折した山口尚秀は10日間の入院、手術、リハビリを余儀なくされた。パリ入りしてレースに臨んだが、ワールドレコードを期待された100m平泳ぎS14は銅メダルに終わった。
「東京から3年、パリという舞台で大きな盛り上がりの中でのパラリンピックとなりました。専門種目の100m平泳ぎでは金メダルを目指していましたが、後半疲れてしまい銅メダルとなりましたがライバルと競い合うことができました。ロサンゼルスを目指そうという決断は今できませんが、競技は続けていきます」と全てのレースを終えて話していた。山口の世界記録が破られたわけではない。
辻内、50mの泳ぎで100mを泳いだ
突然のタイミングでクラスが変わり、弱視のS13からS12へと変更になった辻内彩野。弱視の程度がより重いとされたが、辻内はパラ水泳を始めて6年間S13クラス、種目は50mでパラリンピックを目指して泳いできた。クラス変更により大会も迫る代表合宿期間中にメインの種目が50mから100mに変わった。
「練習の中でパニックを起こしていた。結果としてメダルは取れたがタイムが伴わなかったのがすごい悔しい。ただ、同じ日に木下選手がメダルをとってくれたのが嬉しかった。他の選手たちが言っているように、あの歓声の中で泳げてすごく幸せだった」
知的障害女子史上初のメダル、木下あいら
東京後の2022年のジャパンパラ水泳競技大会に初めて現れ、次々と日本記録を塗り替えた木下あいらは、翌年から海外遠征、マンチェスターで開催された世界選手権に出場し200m個人メドレーSM14で銀メダルなど2年で猛スピードで成長。パリでの木下は調子がよくなかったが、指の骨折で不調だった山口が銅メダルを獲得したのを見て「私もメダルがほしい」と思った。
「目標は自己ベスト更新での金メダルだったので、そこは悔しいが、そんな調子良くない中でのメダルは良かった」
チームの結束で大きな成長があった
パリでの水泳競技最終日(9月7日)、チームを率いた上垣匠監督は「大歓声の中10日間戦い抜いた。初日に鈴木孝幸が金メダルを取ってくれたことが、水泳チームに大きな流れをもたらした。2日目に富田宇宙が銅、3日目には木村敬一が金とベテラン勢が前半をリードして、若手の窪田幸太の銀メダルへと勢いを引き継ぐことができた。
その後も、怪我のなかで山口尚秀が銅、新たに女子の辻内彩野、木下あいらが銅をとった。大会9日目、天王山と呼んでいる日には、金含むメダル3個を獲得した。当初からメダルが厳しいと言われているところで、しっかり取れたことが成績に繋がった」と総括した。
成功の要因として、ナショナルトレーニングセンター(NTC)の活用、科学的なトレーニングを挙げている。特にNTCは、東京大会で整備された国内最高峰のオリパラの強化拠点で、選手たちに最高のトレーニング環境を提供し、食事や宿泊施設もアスリートのニーズに応えるものだった。
日本チームは、鈴木孝幸や木村敬一といったレジェンドたちが、そのパフォーマンスとリーダーシップを発揮し、精神的な支柱となって牽引した。それが若手選手の成長を促したと言えるパリ大会だった。
新たなメダリストの誕生とコーチ陣の成長
有観客のパリで、窪田や辻内が、そして木下が日本知的パラ史上初の女性メダリストとして誕生。彼らを支えたコーチ陣も大きく成長した。岸本太一ヘッドコーチ(HC)をはじめとするスタッフ陣は、選手とともに学び、支え合うことができた。
「NTCを中心に、NF(National federation=日本パラ水泳連盟)の監督、コーチ、バイオメカニクスの支援スタッフ、トレーナー、栄養士、心理士など、各専門分野の人たちが一丸となってチーム強化に取り組んできた結果が、今回の成果に繋がりました。所属チームや個人で活動して、国内大会では結果を残せるかもしれませんが、長期遠征やパラリンピックのような4年に一度の大舞台で結果を出すのは難しい。チームとして強化することの重要性を改めて実感しています。この経験を、他の競技団体、同様の課題を抱えているオリンピック競技団体にも伝えていきたいです」と岸本HCはコメントをくれた。
次への課題
上垣監督は、日本チームの強みについて「S11(全盲)、S4(四肢欠損)など重度障害クラスでの戦いでは木村、鈴木、富田が成果を上げた一方で、S13(弱視)、S9、S10(軽度肢体不自由)齊藤元希、川渕大耀、南井瑛翔などの軽度障害クラスについては、リオ大会で山田拓朗が銅メダルをとったが東京大会でメダルがない。元々、世界的にも競技人口が多く、競争が激しいクラスでメダルを狙うには時間がかかるだろう」、と強化面で今後対策が必要となってくるクラスについて考えを語った。
また、資金面も大きな課題だ。「東京後、スポンサーや国の予算減少により、NTCの運用維持が困難になりつつある中で、維持するだけでなくその機能を高める必要もある」と、実情を伝えた。
パラ水泳の未来へ
パリパラリンピックは、日本代表水泳チームにとって世界との実力試しの大会だった。選手によっては、今回体調が振るわなかった石浦智美、山口尚秀のほか万全とは言えない中で出場した選手もいた。悔しさを拭えない思いもあるが、次のロサンゼルス大会(2028年)へ向けた基盤が築かれた。目標に向かって、すでに挑戦が始まっている選手もいた。
パラ水泳ジャパンは、パリで『熱狂』を味方につけることができた。その喜びを抱きしめて、競技だけでなく、さらに広い世界へ翔けることだろう。
パリでのアスリートの挑戦は、有観客のなかで、パラリンピック・スポーツのパフォーマンスの豊かさをあらためて世界に示し、フランス国民の間で呼び起こされた『熱狂』によって歴史に刻まれた。これからも多様な背景を持つ人々が違いを楽しめる共生社会の実現に向けて、パラ水泳アスリート、チームはその力を発揮し続けるだろう。
(校正・そうとめよしえ)