9日間にわたり熱戦が繰り広げられた神戸2024パラ陸上世界選手権は、3万人の子どもたちをはじめ、トータル8万人の観客が連日観戦に訪れ、無事に幕を閉じた。104カ国・地域から1073人の選手が集まったこの大会は、8月に控えるパリパラリンピック陸上競技の出場枠をかけた最後のチャンスで、パリを目指す若手や、復帰をかけた熟年アスリートの挑戦も見られた。
閉会式後の記者会見で、ホスト国のパラ陸連会長として大役を果たした増田明美会長が言うように、「何より選手との触れ合いがあった。そして、観客の声援が選手たちにどれほどの力を与えるか、改めて感じた」、コロナ禍を経たからこそ、多くの観客の存在のありがたさを実感する大会だった。
中国そしてブラジルの活躍。
女子200メートルT11(全盲)では、中国が世界記録を更新して優勝し、ブラジルが2位、3位と続いた。
競技後、中国のLIU Cuiqingは、「21年の冬にケガをして以来、なかなか調子が上がらなかったので、(調子が出せて)とてもうれしい。積み上げてきた練習が、このような結果になったのだと思います」と話した。
成長著しいブラジルチーム銀メダルのSIMPLICIO DA SILVA Thalita Vitoria は、ガイドのVELOSO DA SILVA Felipeとの12年来のコンビネーションの成果だった。「神戸の環境に感謝しています。パラリンピックへの難しい戦いで、24秒台の争い。誰が勝つかはわからない。今日の我々は銀メダルで満足している」と話し「東京では(メインの)400m、200mともに銀メダルだった。パリでは両方とも優勝したい」と話していた。
中国は金メダル33個、銀メダル30個、銅メダル24個を獲得し、合計87個のメダルで首位に立った。WEN Xiaoyanは2つの世界記録を樹立、合計4つの世界記録をマークした。
ブラジルも、金メダル10個、銀メダル15個、銅メダル22個の合計47個のメダルを獲得した。男子1500mT11でエリツィン・ジャッキスが日本の唐澤剣也に塗り替えられていた世界記録を奪還し、観客席を沸かせた。
最終日の競技
日本のファンにとって、最終日の5月25日、男子200mT64決勝(下腿義足)で大島健吾(名古屋学院大学AC)が23.3の自己ベストで銀メダルを獲得したことは、ワクワクするパラスポーツの魅力の瞬間を共有できたのではないだろうか。世界レベルの戦いで、パリパラリンピック日本代表内定を決めた。
ベルギーのマキシム・カラバンと日本の佐藤友祈の車いすT52クラスでの対決も見どころの一つだった。400m、100m、1500mの各種目で両選手の競り合いが繰り広げられ、マキシムの走力の高さが際立った。
義足の国、ドイツ
ダイナミックなロングジャンプはT64(下腿義足)、T63(大腿義足)だろう。T64のマルクス・レームの跳躍が観客を沸かせた。レームの競技姿勢とパフォーマンスは、ともに競技する選手に影響を与えている。
T63(大腿義足)は、19日に行われ、レオン・シェーファー(ドイツ)が優勝し、ライバルである日本の山本は5位だった。
男子400mT62決勝では、世界記録保持者であるドイツのヨハネス・フロールスが優勝。レース後のミックスゾーンでのインタビューで、スタンドからの応援について、「観客がいることはとても重要です。それが東京では難しかった。オーガナイズは素晴らしく、競技に集中できた」と語っていた。
また、ヨハネスは、「多くの観客の存在がここでの競技を特別なものにしてくれた。スポーツの喜びを感じさせてくれた」と語り、感謝の意を示してくれた。
セレモニー会場で三井利仁理事長にインタビュー!
日本パラ陸連理事長、日本福祉大学スポーツ科学部 スポーツ科学科教授・三井利仁氏は「今回の大会は大成功だったと思います。特に東京のパラリンピックで観客を入れられなかった中、ここではフルスペックで観客を迎え入れることができ、特に子供たちの応援には私も感動しました」と、まず大会全般について感想を語っていた。
日本の成績については、銅12、合計21個のメダルを獲得し、金メダルのなかった国の中では最多となったが、「日本の若い選手たちは、パーソナルベストをどんどん出しているので、パリ本番に向けてさらに良い成績を期待しています」と、日本チームの未来へ期待していた。
三井氏はさらに、「ベテラン選手の引退も考慮しつつ、次世代の選手を育てることが重要です。ロス大会に向けて強い選手を送り込みたいと思っています」と、長期的な視野での選手育成の必要性を強調した。
神戸2024パラ陸上世界選手権は、多くの感動と成果を得て、選手たちの挑戦は次なる舞台、パリへと続く。さらなる成長と活躍を祈っている。
コロナ禍による延期の末開催された念願の有観客での大会で、地元に住む人々を中心に、パラアスリートの魅力を伝えたことは大きかった。
(校正・地主光太郎)