関連カテゴリ: KOBE 2024 WPA, WPA, トラック・フィールド, 兵庫, 国際大会, 夏季競技, 新着, 車いす, 陸上 — 公開: 2024年5月24日 at 3:27 AM — 更新: 2024年5月24日 at 9:12 PM

樋口政幸、5000mT54・再レースでパリ行きを逃す!

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KOBE2024・DAY7、男子5000mT54の再レースが行われ樋口政幸は銀メダルから最下位の6位に。競技人生を左右する大きなチャンス、パリへの切符を逃した。日本人は吉田竜太が4位。

神戸2024パラ陸上世界選手権・大会7日目(5月23日)、18日に行われた男子5000mT54(車いす)の決勝の「再レース」が出場資格のある6名により開催された。これはレース終盤に起きた接触事故に巻き込まれたタイチームのプロテストを受けての処置だ。18日のレースで樋口政幸(プーマジャパン)は、銀メダルに輝きパリパラリンピックの出場枠を獲得したが、再レースでは6位となった。

5月23日19時30分、男子5000mT54の再レースが行われた。 写真・中村 Manto 真人

再レースについては、「序盤はようす伺いで淡々と周回を消化していた。(自分が)トップに出た時は人数を減らしたかったが、それで落とされる人たちではない。メンツが揃っていない中のレースではありましたが、流石に遅い選手は出ていない。中盤、中国の選手が仕掛けて先頭に飛び出るまではよかった。そこから前に出ようとしてそれが体力を削ってしまった」と樋口は振り返った。

樋口、神戸での2つのレースを振り返って

5月18日に行われた、5000mT54のレース 写真・中村 Manto 真人
18日の決勝で起きた接触事故。回避してゴールへ向かう 写真・秋冨哲生
18日の接触事故。回避してゴールへ向かう 写真・秋冨哲生

18日のレースで2位が決まったとき、樋口は「(接触事故の影響による銀メダルで)棚からぼたもちだった」と言っていたが、「決まったからにはパリでメダルを取れるよう全力で取り組む」と、覚悟を決めていた。

18日に開催された、5000mT54のレース、接触事故を回避してフィニッシュしたクウェートのALRAJEHI Faisal(右)と樋口政幸(左) 写真・中村 Manto 真人
18日のレースで銀メダルを獲得した樋口は、「棚からぼたもち」と表現した 写真・中村 Manto 真人

再レースを終えた今の心境を問われると、「当初の銀メダルも降って湧いたようなものですし、自分の走力がピークよりも落ちている。最初のレースは展開も良くポジションどりもよかった。最後まで体力温存でき、その上クラッシュが重なって、2位。クラッシュがなくても3位か4位で惜しくはあるが、再レースは全員コンディションは同じ。そこで(自分は)うまく力を発揮できなかった」と、神戸での5000mの2つのレースについて振り返った。

23日に行われた再レースでの樋口 写真・秋冨哲生
メダルを獲得したのは、1位 ALRAJEHI Faisal(KUW)、2位 KONJEN Saichon(THA)、3位 LUO Xingchuan(CHN) 写真・中村 Manto 真人

「切り替えはできていて、コンディションもよかった。正直2位以内を狙っていました。4位を狙ったら、4位だったかもしれないが、やっぱり2位以内を狙った結果、下のポジションに落ちてしまった」

ミックスゾーンで記者に囲まれる、樋口 写真・中村 Manto 真人

樋口は、今年でちょうど競技を初めて20年になる。ロンドン、リオ、東京とパラリンピック3大会に出場した。「パリに出れても出れなくても、今年が最後と決めていた。やってきたことには悔いはない。自国開催のたくさんの応援の中で走らせていただいて、本当に光栄でした。あと2日間、(取材の)皆さん頑張ってください!」と、ミックスゾーンを後にした。

吉田、樋口さんの銀メダルが最優先だった

吉田竜太(SUS)は4位。最初のレースでクラッシュに巻き込まれ怪我はなかったものの前輪が大破してしまい「借り物」で出場した。

18日の決勝の接触事故で、前輪が外れてしまったという吉田 写真・中村 Manto 真人

「クラッシュで打った右腕がまだ痛い。異例の再レースということで、もう1回気持ちを作り直して臨むっていうところが難しかったですが、自分としては今できる走りは精一杯出せたとは思います。まだパリの選考がどうなるかわからないですけど、選ばれたらしっかりと自分の競技人生の集大成のつもりで準備して臨みたいと思ってます」

再レースで走る吉田竜太(SUS) 写真・中村Manto 真人

「僕としてはやっぱり樋口選手の銀メダルが最優先だった。自分のことよりも、いつも一緒に練習してるし、お世話になっている大先輩で、樋口選手の金メダルがなくなったことの方が、自分がもう1回走れるというよりも残念で、ちょっと気持ちとしては納得できないところが大きかったです」

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