関連カテゴリ: アルペンスキー, パラアイスホッケー, 周辺事情, 新着, 普及, 東京, 東京パラムーブメント, 水泳 — 公開: 2023年12月23日 at 4:10 AM — 更新: 2024年1月12日 at 11:03 AM

いま語られるあの頃の真実!日本パラリンピアンズ協会20周年トーク&交流イベント

知り・知らせるポイントを100文字で

98長野パラリンピックで海外パラリンピアンの振る舞いに刺激を受けたパラアイスホッケーの永瀬充が、パラリンピック選手としての意識向上への想いを宿し、賛同した河合純一、大日方邦子とともに選手会としての活動が始まった。以降日本のパラスポーツの競技環境の構築に大きく関わり貢献してきた。この20年の歩みのポイントが選手の言葉で語られた。

スポーツ行政への働きかけ

2011年スポーツ基本法が改正され、障害のある人のスポーツもスポーツであるということが法律でも確認された。そこで、PAJとして国のスポーツ基本計画にパラスポーツからの提言を行なった。
大日方「スポーツの様々な側面のなかで、障害のある人が社会に参加する面と、障害のある人がスポーツをするという面の2つがあるが、前者に重きがおかれると、スポーツという視点でみてもらえない。厚労省がやると障害者福祉の範疇にはいるけれど、そうなるとメダルをとっても、つぎは別の人を派遣しましょうと競技力にかかわらずとなってくる。当時は国だけが派遣するだけでなく自治体も費用を半分負担しなければなかったので、例えば奈良県ではこの選手が選考されたのでお願いします、というと、いえこの選手はもう経験してるので別の選手を派遣します、ということが起きてしまう。自治体が福祉の平等性を優先し、競技よりも参加することに意義があるということになってしまう。これは、私たちアスリートが身を削ってコンマ1秒を競い合っている感覚と違う部分がある。じゃあどうすれば、競技スポーツとして扱ってもらえるんだろうかとなったとき、文部科学省にパラスポーツを含めてもらうということが必要になった。このようなお願いをしていました」そしてようやく重い扉が開いた。
「荒木田さんの働きかけもあったと思いますが、行政側から、パラリンピアンの声を聞きたい、とそう言われたんです」

そこで、2008年に実施した競技環境調査を用いて、アスリートはどのくらい練習しているのか、費用負担はどのくらいか、どんな人がコーチでいればいいのか。それを受け止める行政や自治体、JPCも一緒にやっていく、そんな一連の運動になってきました。国会にも行き、訴えてきたことだった。

2013年9月に2020年東京招致が成功し、14年4月から厚生労働省にあったパラリンピック、障害者スポーツが文部科学省に、15年からはスポーツ庁に移管された。まさに、PAJ設立10周年頃のことだった。

<目次>
ゼロから1オリンピアンとの絆スポーツ行政への働きかけNTCイースト若手のパラリンピアンたち

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