杭州から佐賀、そしてパリへ。「第40回日本パラ水泳選手権大会」で年内のレースが終了。パラ水泳に多様な魅力を求める声も

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パリへ向かう2023シーズンの公式レースが終わろうとするなかで、パラ水泳の多様な価値を模索する言葉が語られた。

40回を迎えた「日本パラ水泳選手権大会」が佐賀で開催され、10月の杭州アジアパラ・水泳で金メダル19個を含む52個のメダルを獲得し、アジア2位となった44人の日本代表チームがホームゲームへ凱旋。国内のパラスイマー、デフスイマーとシンガポールから2名のパラリンピアンを迎え、213名が今年最後のIPC公認レースに挑んだ。11月18日、19日の2日間でアジア記録3、日本記録17、大会新記録45が樹立された。

2021年・コロナ禍の東京パラリンピックから2年。2度の世界選手権とアジアパラを経て、観客と活気を取り戻した国際大会を経験した日本代表らは、来年3月に予定される静岡での代表選考会、8月のパリパラリンピックを控え、慌ただしい1年を終えようとしていた。

マンチェスター世界選手権、アジアパラ競技大会の優秀選手の表彰がおこなわれた。 写真提供・日本パラ水泳連盟

一方で、今大会では、過去にトップを目指した選手、現役選手からもパラリンピックだけでない多様なパラ水泳への関わり方を求める声が聞こえ、強く印象に残った。
パリパラリンピック前の日本選手権で語られた、選手たちのインタビューから、いくつかの言葉の抜粋を試みる。

200m個人メドレー、荻原、川渕、小池

200m個人メドレー・アジアパラ組は、男子S8・荻原虎太郎(セントラルスポーツ)、男子S5・田中映伍(神奈川県)が日本記録を更新したほか、男子S9・川渕大耀(宮前ドルフィン)が大会記録を更新した。

荻原虎太郎

アジアパラ混合34pts フリーリレーで銀メダル、100m背泳ぎで銅メダルを獲得した荻原虎太郎(セントラルスポーツ)は、今大会1日目の200m個人メドレーSM8で2分29秒34で自身の日本記録を更新した。

佐賀での200m個人メドレーを泳ぐ荻原虎太郎(セントラルスポーツ) 写真提供・日本パラ水泳連盟

「今日は平泳ぎの苦手を克服した。一緒に練習している平泳ぎの選手に”キックが上手くなれば早くなる”と聞いて練習した。水を蹴る感覚が大きく変わり、後ろ側の筋肉を使っていると感じる。100m背泳ぎもアドバイスをもらって直せるものは全部直して速くなり来年の3月を迎えたい」と荻原は語った。2日目はアジアパラで中国選手の泳ぎにヒントを得たという100mバタフライに挑戦。メインは100m背泳ぎだが、200m個人メドレー、100mバタフライへも前向きな様子だった。

川渕大耀

今大会1日目の200m個人メドレーでは大会新の川渕大耀(宮前ドルフィン)に笑顔はなかった。「アジアパラで金を狙ってとれず、今日は日本新をねらっていたが最初のバタフライで抑え過ぎたようだ」と泳ぎ終えた川渕は振り返る。
2日目、200m自由形ではアジア記録を樹立したが、これも自己ベスト(中体連)ではなく「(今大会は)どれも良くなかった。400mにつなげるための200mだったが、うまくいかなかった」と納得のいかない締めくくりを見つめた。

川渕大耀(宮前ドルフィン)「3月は400m自由形で派遣標準を切り、パリでは決勝に残り、世界の選手と戦い、できればメダルを狙いたい」 写真提供・日本パラ水泳連盟

アジアパラで川渕は5日間で13レース泳ぎ、合計4つのメダルを獲得した。最終日、メインの400mでは疲れて腰がきついなかで金メダルを獲得。「初日200m個人メドレーでうまくいかないところが多くて落ち込んでいたが、この種目だけは譲れないという気持ちで金メダルを勝ち取れすごく嬉しい」と川渕はようやく笑顔を見せていた。
「力が付いてきたと思うし、気持ちで負けないとこが成長につながったと思います」と振り返り「来年のパラリンピックには必ず出場し、世界の選手と戦いたい。メダル争いに加われる選手になりたい」とパリへの意気込みを述べた。
12月オーストラリアへ次世代の合宿と大会があり遠征する。1月に千葉の大会、そして3月の静岡である。

小池さくら

女子200m個人メドレーS7で小池さくら(大東文化大学)が3分40秒61の大会記録を更新した。小池は、東京パラリンピック出場後のこの2年、水泳との向き合い方を模索していた。強化からも外れ、アジアパラも出場していない。

9月17日、ジャパンパラで100m背泳ぎS7で自身の日本記録を更新した、小池さくら(大東文化大学) 写真・内田和稔

小池は、2017年ドバイでのアジアユースパラ、2018年ジャカルタでのアジアパラと出場し東京パラにむけタイムに集中して取り組んだ。東京パラではメインの400m自由形で自己ベスト=日本新を更新する泳ぎをしたが、以降は強化を外れ大学の部活を楽しんでいる。「タイムを上げるための練習をやっている自分が義務的になっていると感じた」と小池はいう。小池はつねに自分の求める水泳を模索してきて、その答えを見つけつつあるようだった。
今大会については「(強化していた種目ではなく)出たい種目に出ています。200m個人メドレーにチャレンジしたら、フリーの練習では気づかなかったことも見えてきました。来年はパリはめざさず、競技は大学を卒業する来年3月の記録会で引退するわけじゃないですが一旦終わりにします。社会人になっても、国内大会では泳ぎたい」と話し、パラリンピックなど国際大会からは身を引く考えを示した。

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