第二部・トークセッション「未来へ動き出そう! ~東京パラリンピックが残してくれたもの~」
「WHO I AM LIFE」第3話の主人公、マイケル・ハウウェルが書き下ろした2曲を携えて来日。パラリンピアンの伊藤智也、アイドルの猪野ともか、WHO I AMナレーターの西島秀俊らを登壇者に、元テニスプレーヤーの松岡修造の熱いリードでトークが繰り広げられた。MC松岡ワールドを全開にして、立場の異なる面々の発信に加え、マイケルのピアノと歌による特別ライブに魅了される贅沢な時間となった。
松岡は当初マイケルが自閉症のため緊張する場での発話がどこまで可能なのか?危惧していたが、マイケルの柔らかい、綺麗な声が想いを語り出した。
マイケル「音楽は自分の軸にあって、小さい頃からやりたいことだった。その中でも特にクラシックに衝撃をうけた。自閉症という障害はありますが、打ち勝っていきたいですし、音楽を自分の信念として続けていきたい。自分が愛するクラシックを伝えていきたい」
そして、レジェンド、現役パラ陸上の伊藤智也は「現役なんですか?」と松岡の問いに「現役です。59歳です」と高らかに応えた。
仮面を被った武闘派アイドルグループ『仮面女子』のメンバー・猪狩ともかは、5年前不慮の事故により下半身麻痺になり、車椅子を使う立場になりながらもアイドルに復帰、東京パラリンピックを報じるテレビ番組でコメンテーターも務めた。
猪狩「パラアスリートの皆さんは、自分の障害を理由に逃げることなく、自分の身体で何ができるのかを考え、今の自分の状態のベストをどうしたら出していけるかを常に模索していて、私も障害を理由に逃げちゃ駄目だなと感じました」
トークセッションは、大切にしている信念や未来に繋げていきたいメッセージをテーマに、それぞれの立場で包み隠さず想いを伝え合った。
その中で心に響いた登壇者のコメントがある。筆者は、筋ジストロフィーという難病を抱えながらスポーツの世界で長年活動している。障害当事者の私が、何を感じたのか、この機会に伝えてみたい。
登壇者の中でも伊藤は東京パラリンピックを含む4大会に出場、北京パラリンピックでは2つの金メダルを獲得、人生経験豊富な伊藤の存在が私に深く響いた。
伊藤は、2017年に一度引退するも、東京パラリンピックに向け現役復帰を決意。現在も現役だ。復帰に至る理由として欠かせないのは、伊藤と意気投合して競技用車いすの開発を一任された株式会社RDS代表・杉原行里氏の存在だった。
最先端のテクノロジーを駆使して「感覚を数値化」、究極のマシンを作り上げ、東京パラリンピックに挑んだ。しかしその東京パラリンピックで、伊藤の障害のクラスが一つ軽いT53という判定を受け挑戦は終わったかに見えた。伊藤は相当なショックを受けながらも出場を辞さなかった。
松岡「なんで辞めなかったのですか?」
伊藤「出られるのなら、マシンの最高のパフォーマンスをテレビカメラに一瞬でも映したい。自分を支えてくれたスタッフたちの生き様がそのマシンに込められている。マシンをスタートラインに立たせたい。辞めなくて良かった。T52では常に凄い勢いで離しトップを走ってきたが、T53では一瞬で追い抜かれた(笑)」
トップに上り詰めたことのある伊藤が他の選手に一瞬で追い抜かれたその経験すら楽しんでいる姿をみて真のアスリートにふさわしいと思った。伊藤もたくさんの人に支えられながら長年競技生活を続け、支えてくれたその一人一人の努力に報いるためにも「共に戦う」という情熱がひしひしと伝わってきた。
マイケルに情熱について尋ねると
マイケル「自分のパッションっていうのはやっぱり音楽を作ることなんだって改めて感じました。小さい頃から気づくとクラシックに魅了されて、音を真似してる自分がいました。どういう風に自分の生活の中に入ったかというと、11歳のときに音楽のアプリがあって、そこで有名なモーツァルト、ショパン、ベートーヴェンを聞いてるうちに、これだというのをすごく感じて、その後にYouTubeを観て。他の誰かに教わったわけではない。自分で自分に音楽を教えこんだ。そうして弾けるようになっていきました。
自分は人の音楽を真似するのではなくて自分で音楽を作りたいと思い、作曲家になりたい、という気持ちがありました。ピアノは自分自身が弾けるように自分に教えたし、歌も独学でやってきました。もちろん大学で学びその土台はありました。そこからどんどんいろんな曲を作っていきました」
松岡「何が、これが音楽だって思えたポイントなのですか?」
マイケル「自分はバッハを聞いて感じたものがありました。そこから歌にものめり込み、クラシックから中世音楽にも興味がいくようになりました。大学に入って、新たにジャズ、ゴスペルなど新たな音楽の分野を知れば知るほど、あらゆる所に広がっていって、全部が一つになったのが今の自分の音楽だと思います」と自分について堂々と答えた。
猪狩「独学でピアノって、どうやったのですか?」
マイケル「一度は習おうとやってみたのですが、あんまり好きじゃなかった。自分は音符を見て弾くんじゃなくて、音を聞いて、音から音を出す形で弾いている。先生にも驚かれました。音符を読まずにここまでこの才能をもって、ここまで弾けるのかと驚かれた事を覚えています。自分の弾く音楽は、そこから聞こえてくる歌だったり、音だったり、そういうのが全て混ざって、自分のユニークな音楽が出来上がっています」
マイケルは自閉症ということもあり繊細で苦しんだ過去があったと思う。それでも素晴らしい感性の持ち主で、音楽と共に自分のアイデンティティがあることが感じられる。彼の雰囲気のある優しい話し方のせいか、自然に筆者の心の中に入り込んできた。マイケルの繊細さの中にある力強い生命力を感じずにはいられなかった。
マイケルの言葉に応じるように伊藤は次のように語った。
伊藤「広く選択肢をもってないじゃないですか僕たち(障害者)は。例えば歩くことはできない、ジャンプもできない。だから考えなくていい部分がある。考えてもしょうがない。でも逆に言えば、その違った部分で、感性が突き抜けてる部分があれば、そこを徹底的に磨いていくことができる」
この伊藤の言葉に関しては、かなり前のめりに共感できる。私自身も障害があるからこそ、 やれることが限られた分、電動車椅子サッカーに出会い、選手を退いたあとも未だに監督として情熱を注いで関わり続けている。一点に集中して積み上げてきたからこそ、様々な事を経験し、学び、一人の人間としても成長することが出来た。
第一部の試写会でのヴィクトリアも、伊藤やマイケルも同様に、一つのことから活路を見出して、自身の個性と向き合い、アイデンティティを築き上げている。猪狩にも同様のことが言える。つまり、障害を持ったからこそ、獲得できた強い信念をみんなが持ち合わせていた。
松岡「その感性って具体的に教えてくれますか?」とさらに突っ込む。
伊藤「感性的に絶対譲れないものがあって、これだけは譲らずに生きていくつもりなんですけども、いいですか?過去、昨日をですね、絶対に誇りあ るものにしたいのですよ。今日、今も、明日になったら過去なんですよ。僕流には明日、今日のこれを誇れる自分でありたいというか。なんかその僕みたいなふざけた人間がいうと、ちょっとかっこ悪いですけども、一生懸命に生きたい。そう思うと障害があるとかないとかはあんまり関係ないです。できないことにこだわる必要もないし、できることを頑張ったらいいし、それが明日の自分の誇りになったら、自分を褒めてあげていいかなと。だから、その時、その時、絶対手は抜かんとこうって。自分の感性に正直だから、自分らしくいれるんだと感じました」
つまりそれぞれの置かれた環境下で、誠実に自分自身ができることを精一杯、その瞬間、その瞬間やり抜いて、継続していけば良いというシンプルな事であると、伊藤のコメントを聞いて再認識させられた。
マイケルは感性についてこのように述べている。
マイケル「自分が今気を付けているのは、私も人の気持ちをすごく考えることです。人がどういう気持ちなのか、自分がこういったら相手はどう感じるのかをよく考えます。自閉症っていうのは、時に社会から離れてしまう考え方があったり、人の気持ちが読み取れないことがあります。そういう、自分の中で、他の人たちが受け取る感情を受け取れないのであれば、相手がどう思っているのかという捉え方を自分なりに学んで、人が今こういう風に言ったら自分はどう感じるのか、相手がこう言っているのは、こういう気持ちなのかなとか、すごく考えて自分のものにしようとしています」
続けてマイケルは言う。
マイケル「自分の中では、障害がある人たちというのはスーパーヒーローっていう見方をしています。実はこの障害っていうのは、神から与えられたものだと思っています。すごい上の力から与えられたものだと感じています。障害があるからこそ限られてしまうけれど、その分すごくプラスに働くこともあって、世の中っていうのは陰と陽でバランスが取れている。私たちはこの制限されること、足りないことがあるからこそ、もう一つ他の人にはない素晴らしい感性があって、人間として大きなバランスが取れているのではと思います」
松岡「先ほどの限られてしまっているとか、一生懸命と通じるような感想ですけども、本当にピュアだね!そういう風に素敵に感じられるってことは、きっと彼に関わる全ての人たちにも、そういう幸せな彼のパワーをずっと分けていけるのでしょうね」
最後の松岡の問いは
松岡「これだけは大事に、東京パラリンピックに関して、これはつなげていくよっていうのを考えたときに、どんなものを未来に繋げていきたいと思いますか?」
猪狩「ハード面は時間もお金もかかることなので、皆さんの心から変えていくことが大事だと思います。私自身も何か困ったときに自分から言える勇気をもつことも大事だし、周りの方も何か困ってるのかなと思ったら、声をかける勇気っていうのも大事だと思います。それは障害を持つ人にという意味ではなくて、誰しもが大変そうだなって人がいたら、声をかけられる勇気を私自身も持ちたいなって思います」
伊藤「本当に小さなものでも自分の価値観をきちんと持って、その中で人を思いやる気持ちがあれば自然と文化って繋がっていくと思うのですね。その時代その時代に適した文化があって、それが10年後、20年後に振り返ったときに、あのときから比べれば大きく変わった。その変わった方向が戦争ではなくて、平和に向けて大きくこの日本っていう国が一歩踏み出していけるのであれば、それは一人の思いやりからスタートしてるんかなと思うので、やっぱり優しい気持ちをもって頂けたら良いかなと」
「WHO I AMパラリンピック」ナレーターの西島秀俊はこの問いに対してしめくくるように答えた。
西島「(新たな)『WHO I AMパラリンピック』を通して、特にナレーションはその主人公の思いを共有しないとできない仕事だと思います。結構ナレーションしてて、ナレーションの途中で声が震えてNGになったりとか、感極まっちゃうことがありました(笑)。東京大会があったからこの番組はスタートしていて、東京大会が一つの区切りになると思うんですが、アスリートの皆さんはもうすでに次に向って進んでいる。
ずっとやってきた中で僕が覚えているのは、シーズン1でこの番組が始まる時にパラアスリートのみなさん超人的な方たちだと思うんですけど、パートナーとか家族の皆さんと過ごしてる様子だとか、そういう日常の何気ない当たり前のことを観て、共有する中で、自分がどうなのか?自分がどう変わっていくのか。この番組を通して僕自身が変わるようにスタートしたんですね。手探りで始めたけれども、継続していくことがすごく大事なんだなって。それが当たり前のことになってきて、今がある。大げさかもしれないけど、東京大会終わって、この番組が当たり前のように続きますってことで、「WHO I AM LIFE」ってことで、アスリートの方だけじゃない、もっと広がりを持った形になって、僕も嬉しく参加できる限り参加したいなと思っています。
番組に関わることで、誰よりも僕が落ち込んでるときにこれを見て、やっぱりまだ頑張ろう、何言ってるんだって勇気付けられました。まさに自分が誰なのかってことを突き付けられてるというか、向かい合わせてくれるっていう体験だっ たので、何かその個人的に、太田プロデューサーともWOWOWがどうだろうが、やりましょう!と言っていたら、これは続けますと。出て下さったアスリートの皆さんが色んなものを変えていっている。まさにそういうことなんだと思います。スタッフの方たちと関わっていると、みんな、WHO I AM、自分って誰なんだろう?!と思いっきり情熱で求めてる。
東京パラリンピックが終わったら自分たちの役割は終わりだって、一つも感じてるように思えなくて、本当嬉しかった。継続するからこそ、様々なもっと深いところも感じるだろう」
松岡が伊藤に一言。
松岡「継続っていうことに関しては、すごく強い思いを持ってらっしゃるのではないですか?」
伊藤「そうですね。日本にいると東京パラリンピックが終わりましたが、色んなアスリートにとっても、ここに会場にいる皆さんにとっても、次のパラリンピックに向けてとか、東京パラリンピックで得た気持ちがあるならば、パラリンピックが一つの入り口になったんだと思うのですね。それなら、そこからみんなは何を広げていくのか。やっぱりここが入り口なんですよ。またそこから何をスタートさせていくのか。スタートさせることができたら、素敵かなと。僕はそこからまた出れる出れないは別問題として、ロスに向けて羽ばたいていきたいなって」
西島「伊藤さんはそういう方です。たぶん状況の変化とか内面の変化とかすごくあると思うんですけど、新シリーズを観ていて、さっき言ってた日常 とも外れるかもしれないですけど、皆さんアスリートとして社会とか大きく影響を与えていて、アートだったり、やっぱりなんかこう否応なく時代の象徴だったり、そういうものになっていってるのかなと。皆さんがどう感じてるのかは、番組を通して聞いてみたいなと思います」
伊藤「本当に僕の人生なんて、もう人に自慢できる何か見本になるようなものではないですけれども、やり続けていくことに対して、自分の意志だけではないことはすごく大事にしたいと思ってますね。周りの支えももちろんですし、世の中の動きもそうですし、色んなことが本当にいい風に重なってくれたからこそ、自分はそれを続けられてるという。なんかそこに向けて、その安っぽい言葉で感謝とか、色々ありますけど、そんな言葉で言うよりは、一生懸命の自分でお返しするしかないとしか思えないくらい周りの支えってすごいなって思っていて」と伊藤らしい言葉の数々。
松岡「西島さんはどんな思いを未来に繋げていきたいと思っていますか?」
西島「そうですね。やっぱりこの番組もそうですけど、みんな違ってみんな良い。それぞれ個性で。僕も50代に入ったので、個人的に はやっぱり関わる作品なりで、若い人たちがいろんな価値観を持って、それぞれ自由に才能を健康的に発揮できる場をつくっていきたいと思っています。無理やり繋げているわけじゃないですけども、さっきのように継続していくことがとても大事なことなのかなと。大きく打ち合げて、終わってしまっては意味がないわけで。まぁ才能も僕なんか遅咲きだったんで、やっぱり長く見守ってくれてる人がいたから、今こうやってお仕事頂いたりもしているので。特に若い人たちに長く健康的に、僕の業界、映像の世界だけじゃなくて、世の中全体が自由な才能を発揮して、価値観を持てること。それをみんながこう優しく見守るような、そういうことに自分も微力ですけど力を尽くしていきたいなと個人的には思っています」と、締め括った。
今回の試写会とトークセッションを通じて、筆者が強く感じたことは、障害があるないに関わらず、自分自身と向き合い、目的を達成するために努力をし続けること。そういう人たちが一人でも多く影響力を持って、社会の中で活躍する。そしてお互いを尊重して刺激を与え合う暮らしが、当たり前の世界になれば良い。
この世の中には、未だに貧困や紛争に苦しみ、日々生きることさえ当たり前ではない人がたくさんいる。ウクライナとロシアの戦争は終わりが見えない。だからこそ挑戦できる可能性が1%でもあるのであれば、そのチャンスを握っている当事者は泣き言は言ってられない。
「WHO I AM」というタイトルにある通り「自分自身が誰なのか」を誰もが自由に表現できる社会の実現に向けて、前を見据えて歩み続けていきたい。
◉マイケル・ハウウェル
ロンドンを拠点に活動する作曲家。ASD(自閉スペクトラム 症)。ピアノを使い自身で作曲を行い、その演奏力と圧倒的に美しい歌声で、周囲を 驚かせ続けている両親・家族や学校の先生など、近しい人たちとの暮らしを大切にし ながら、ロンドンの音楽大学で学んだ若き才能。
◉伊藤智也
少年時代からスポーツ万能だった伊藤。10代で起業し忙しい毎日を送っていた が、34歳の時に多発性硬化症を発症、車いす生活に。翌年に車いす陸上と出会うと本 格的に競技の世界へ。2004年アテネでパラリンピックに初出場すると、4年後の北京 では2つの金メダルを獲得した。49歳で迎えたロンドンでも3つの銅メダルを獲得し引退。しかし2017年、4年のブランクを経て現役復帰。一年の大会延期を経て、58歳に なった伊藤は、自国開催のパラリンピックのレースへ挑んだ。
◉猪狩ともか
仮面を被った武闘派アイドルグループ『仮面女子』のメンバー。2018年4月、不慮の事故で下半身不随になり、車いすでの生活に。アイドル活動も断念したところ、周囲の励ましから4か月後にステージ復帰。その後卒業も考えたが、車いすという特徴ではなくてもいちタレントとして活躍できることを目指し「仮面女子の中に当たり前に自分がいる環境が理想」として卒業を撤回、現在もアイドル活動に加え、各地で講演会など活躍中。
<イベント概要>
未来へ動き出そう!~東京パラリンピックが残してくれたもの~
第一部・WHO I AM LIFE「ヴィクトリア・モデスタ」試写会
第二部・第9回「WHO I AM」フォーラム
日時:2023年1月27日(金)
会場:東京・有楽町朝日ホール
主催:WOWOW
後援:朝日新聞社
主賓:根本かおる(国連広報センター所長)
司会:松岡修造
ゲスト:マイケル・ハウウェル(作曲家)、伊藤智也(パラ陸上日本代表)、猪狩ともか(アイドル、女優)、西島秀俊(WHO I AMナレーター)
<放送情報>
ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM パラリンピック
1月8日(日)スタート(全3回)
第1話 エレナ・クラフゾウ(ドイツ/水泳)※無料放送あり
第2話 サルーム・アゲザ・カシャファリ(ノルウェー/陸上)
第3話 鳥海連志(日本/車いすバスケットボール)
「ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM LIFE」
2023年1月29日(日)スタート(全3回)
第1話 ヴィクトリア・モデスタ (バイオニック・ポップ・アーティスト)※無料放送あり
第2話 チェラ・マン (アーティスト)
第3話 マイケル・ハウウェル (作曲家)
未来へ動き出そう!~東京パラリンピックが残してくれたもの イベントページ
https://corporate.wowow.co.jp/whoiam/event/4981.html
(編集校正・佐々木延江)