WOWOWとIPC(国際パラリンピック委員会)の共同プロジェクトとして2016年に始 まった、世界最高峰のパラアスリートに迫る大型ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」が「WHO I AMパラリンピック」にリニューアル。
さらにパワーアップして、アーティストやミュージシャン、クリエイターなど、広くエンターテインメントの世界の第一線で活躍する多彩な個性がスポーツの枠を超えて登場する「WHO I AM LIFE」が新たに2本立てでスタートした。
放送開始に先立って第一部・試写会〜主人公「ヴィクトリア・モデスタ」〜が行われた。まず彼女の物語について述べ、第二部・トークセッション「未来へ動き出そう!〜東京パラリンピックが残してくれたもの〜」については、障害のある筆者自身の感想を交えて述べたい。
第一部・試写会「ヴィクトリア・モデスタ」
2012年ロンドンパラリンピック閉会式でのヴィクトリア・モデスタのパフォーマンスは世界に鮮烈なインパクトを与え、彼女自身脚光を浴びた。音楽、アート、技術、化学などを融合した「バイオニックポップスター」というべき新時代を立ち上げた。「テクノロジーとデザインによって人のアイデンティティの感じ方が変わること」がバイオニックだとヴィクトリアは説明する。
旧ソビエト連邦支配下のラトビアで生まれたヴィクトリアは、生まれつき左足に損傷があった。医者は「長く生きられないし、話すことや聴くこと、そして歩くことすらできない」と説明した。しかし、お母さんは娘の成長を信じて家に連れ帰った。
当時のラトビアで障害者は施設に入るのが当たり前で、ヴィクトリアは幼少期のほとんどをリハビリ施設で過ごした。しかし医者の言葉とは裏腹に左足以外は全く問題なく成長した。ただ当時のラトビアには木製の義足しかなく、苦しい日々には変わりない。15回も足を伸ばすための手術を受けたが上手くいかず、結果として左足が8センチ短くなった。実験台にされ、心身ともに背負ったダメージは計り知れない。ソ連崩壊後のラトビアの暮らしは厳しく、彼女が12歳の時、逃げるような思いで家族はロンドンに移住した。
「WHO I AM LIFE」では、幼少期のヴィクトリアの葛藤が痛いほど伝わってきた。 自身のアイデンティティを探す長い旅だった。音楽、ファッション、異文化を見聞きして見地を深める。シンガーとしてもボーカル・レッスンを通じて才能を開花させていく。ヴィクトリアが持ち合わせていた芸術的な感性が、ようやく発揮できる状態になり、自分らしく生きる道を切り拓いていく。
16歳の頃、足を切断したいと思っていたが、病院をたらい回しにされ時間だけが過ぎていった。20歳の時に医療コンサルタントのサポートを受け左足を切断した時、アートへの追及が「開放」される。義足を付け身体を制限されることなく、自身の感性と肉体を思う存分に表現して垣根を超えた表現者となった。そこで彼女のアイデンティティから生まれたニュージャンルが、彼女の肩書である「バイオニック・ポップ・アーティスト」である。
全幅の信頼を置く義肢装具士・ソフィとともに作り上げた斬新で美しい義足の数々をプロジェクトごとに使い分ける。義足は彼女の足であり、自身を表現するアイコンとして欠くことのできない身体の一部となった。光を見出せず、苦しんだ日々があったからこそ、眠っていた感性が一気に覚醒し、まさに本能の赴くまま自身を表現しているかのようだ。
オンリーワンの道を確立したからこそ、障害があるないに関わらずヴィクトリアは一人の人間として眩い輝きを放つ。固定観念を突き破り、圧倒的な存在感で見る者を魅了する。その姿はただ、ただ、美しい。
◉ヴィクトリア・モデスタ
1987年ラトビア生まれ。生まれたとき左足神経を損傷し幼少期の多くを病院で過ごす。20歳の時にロンドンで左足切断。アートの追及が「開放」される。シンガー、パフォーマー、モデル、クリエイティブディレクター、大学研究員、現在はアメリカのロサンゼルスを拠点に宇宙事業にも情熱を注ぐ。
「ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM LIFE」
第1話 ヴィクトリア・モデスタ (バイオニック・ポップ・アーティスト)
2023年1月29日(日)スタート ※無料放送あり
つぎのページで→第二部・トークセッション「未来へ動き出そう! ~東京パラリンピックが残してくれたもの~