「バドミントン」が2020年・東京パラリンピックの種目にきまった。アジアで人気の高いスポーツで、東京では多くのアジア人選手の活躍が期待できそうだ。パラリンピック種目でなかったことや、世界選手権へは費用がかかるためアジアから遠征する国が少ないなど、これまではアジアパラが実質的な世界大会といえるほど、アジアのレベルが高い。
10月22日、2014仁川アジアパラ・バドミントン会場で、海外の選手のプレーをビデオカメラに納めている義足の選手がいた。立位の中でも障がいの重いSL3(大腿義足、重度のポリオ)の藤原大輔(22歳、高知県出身、筑波大学体育専門学群3年)だった。
藤原は、20日、男子シングルスSL3・予選リーグDグループで対戦し、3人ひと組の総当たり戦で、上位2名が決勝リーグへと進むことができるが、早くも予選敗退していた。
「シングルスでの対戦相手、インドネシアのUkunとインドのManojです」と、説明してくれた。前回大会までは出場がなく、今大会が初参加の二人の選手だが、藤原が押されてしまったその二人は、次々と進み、ついに二人の間で明日(23日)決勝戦が行なわれることになった。
「(今大会で)初めて会った選手ですが、決勝まで行ってしまった。負けてよかったわけではないが、二人と闘って気づくものが大きくあった。彼らは殆どミスをしないし、ネット際のテクニックも抜群にいい。自分はまだ日本の中でさえ、敵なしではないし、ダントツというほど勝ててもいない。先輩の胸を借りて成長しているところ」と、自分を負かした相手をファインダー越しに評価する。このビデオを練習のパートナーに見せるのだという。
藤原は現在、比較的パラスポーツ選手が多い筑波大学を拠点にバドミントンの練習をしているが、映像を練習相手にどんどん見せて、対戦相手のレベルの高さや実力を知ってもらい練習の質を高めたいと考えている。
藤原が生まれてすぐ、医療事故による感染症で左脚を切断。両親のすすめで(義足でも引っ込み思案になったりしないようにと)子供のころから水泳をやっていた。バドミントンは小学3年生の頃、姉の影響で地域のクラブに入ったのがきっかけで始めた。
高校2年の時、神戸での障害者交流大会に出場した時に声をかけられ、日本選手権に初出場、シングルス、ダブルスで優勝した。日本障害者バトミントンの強化指定選手となり、高知西高3年時代に中米グアテマラで行なわれた世界選手権にも出場、ダブルス、混合ダブルスで3位。
高校卒業後は、体育の先生を目指して筑波大学へ進学した。教員免許も取得していたところだった。
「バドミントンがパラリンピックの種目になって、環境ががらりと変わる気がする。以前は、大学を卒業したら体育の先生になりたいと思っていたけど、今は、パラリンピック選手になって、やれるところまでやってみたい」と、藤原。これから、就職活動も控えている。選手として、理解のある環境を得られればいい練習ができるだろうと話していた。