3月14日に閉幕した北京パラリンピックで一人の大学生が快挙を成し遂げた。クロスカントリースキー男子20キロクラシカル(LW5/7・両上肢機能障害)で、日本選手団の旗手を務めた川除大輝(日大/日立ソリューションズJSC)が金メダルを獲得。冬季大会日本最年少男子金メダリストを更新しただけでなく、出場全種目で入賞を果たした。
生まれつき両手の一部がなく、スキーポールを持たないで滑る川除はまさにクロスカントリースキー界のエースであり、スキー界の宝と呼ぶにふさわしい存在だ。
そこで今回、明大スポーツ新聞部の筆者と同じ大学生の川除を同世代に知ってもらうため、北京大会の振り返りや普段の練習、帰国後どうしているのかなどについてお話を伺った。
平昌から北京へ。成長の4年間
平昌大会は「初めてのパラリンピックで、どういう動きを取っていいか分からなかった」。試合の数日前から緊張が続き、一試合一試合に全力で向き合うのが精いっぱいだった。フォームについても「がむしゃらにやって、体力だけで持っていく考え方だった」と、4年前の自分を振り返る。
平昌大会後、今のままでは勝てないと実感し、北京大会に向け、フォームの改善を決心した。国内にはポールを持たずに競技する選手がいないため、海外選手の動画と自分の走りを見比べて些細なことでもまずは取り入れ、試行錯誤を重ね改良した。さらに北京は2度目のパラリンピックということもあり「調整しやすかった」。得意のクラシカル20キロにターゲットレースを定めたことが、金メダル獲得につながった。
パラリンピアンであり大学生
現在21歳の川除は名門・日大スキー部に所属する。寮の周辺や高尾山で練習を行い、日大ではスポーツ科学部に通う4年生でもある。特に高所馴化についての授業は、標高の高い場所で行われるスキー競技にも通じるという。
また、最近普段の様子を伺うと、昨年の東京五輪後にスケートボードブームに乗じてスケートボードを始めたそう。快挙を成し遂げた一方で大学生らしい一面も見せた。
1年次は寮で生活しながら寮の仕事や授業と練習の両立が「大変だった」と振り返るも、昼食を互いに作り合ったり同期と同じ部屋で過ごしたりする寮生活が「楽しいので(あと1年で)卒業するのが寂しい」と話していた。金メダリストとなったパラリンピアンでありながら大学生でもある川除の大学でのラストイヤーが始まる。
新たな飛躍へ。 スキーがもっと広まるには……
北京大会で日本選手団の旗手を任せられたことで「それ相応の結果を出さなければならない」。重圧がのし掛かるものの「そのプレッシャーをはねのけて成績を出せば、よりパラリンピックやクロスカントリーを日本中に知ってもらえる」と、川除は考えていたという。まだまだ認知度の低いパラリンピックのクロスカントリースキーについて「みんなに知ってもらえればいいな」と。そんな思いから4年前は断りがちだった取材も受けるようにしたという。
現在パラウインタースポーツは新しい若い選手の発掘が課題となっている。川除自身も、もともとは健常者と一緒にスキーをしていた中で障害者のクロスカントリースキーに誘われた。始めたばかりの頃は「健常者の一人だと思って活動していたので、そこで障害者と認めるのが自分の中では悔しかった」。しかし上達し結果も出るようになると「世界が広がっていく」ことがわかってきた。長く続けることは、楽しさの秘訣だと話すまでになった。
「今は良い経験ができている。(これから競技を始める人は)その一歩が踏み出せさえすれば、ればあとは気楽になると思う。その一歩が少し踏み込みにくいと思うので、僕たちのスキーを見てもらって、やってみたいなと思ってもらいたい」。
川除は、自らのプレーで、新たに観戦する人や競技を始める人を増やすためにさらなる飛躍を目指す。北京を終えた今、「次の4年後も金メダルを取りたい。ワールドカップで総合優勝したい」という。長く続けたから、金メダルを獲得したからこそ見える景色。多くの人に感動を与える滑りでスキー界をけん引する姿を見続けたい。
(写真取材・中村 Manto 真人 校正・佐々木延江)