「2022パラアルペンスキージャパンカップ」最終日(4月7日)のレース(回転)が終了し、北京パラリンピックを含む選手たちの特別なシーズンが野沢温泉で閉幕した。
4日間を通じて晴天、気温が高いなかでの春スキーとなった。北京パラリンピックで硬いアイスバーンを経験した選手らの対応力を試す機会にもなり、選手らの反応をうけ薬剤による細やかな対策が行われよいバーン状態を保った公式レースとなった。
「4レース全部のセッティングを変えて、いままでにないセッティングにチャレンジした。新たに発見したのはポジションだった。海外勢との水を開けられた部分を埋めるための模索をしている。北京が終わったが、できれば少しでも雪の上に乗っていたい。春になって雪の状況が悪くなって(セッティングには)すごくいい状況だ。他の選手はきっと休みたいっていうだろうけど僕は滑り続けたい!」と森井大輝は野沢温泉での雪を名残惜しんだ。
座位は北京パラ金メダリストの村岡桃佳が全戦で圧勝、森井大輝が回転第1戦で鈴木猛史に首位を譲る以外は3勝と強さを示した。
立位は、北京で出場全5種目で8位以内の本堂杏実が今大会は苦手の回転種目でレースを楽しみシーズンを終えることができた。ベテラン勢はパラリンピックでは振るわず、引退を考慮して今大会に臨んでいた。今大会ではトリノ大会(2006年)銀メダルの東海将彦が優勝含め完走したほか、三澤拓が出場3レース中2レースで優勝、育成の青木大和が回転で初めて優勝した。
北京からの課題と今後。キーマンはどう考えているか?
北京パラを振り返りつつ、シーズンを終えたいま、選手の発掘、育成、強化を念頭に日本チームは新たな姿を模索する。
日本パラアルペンのコミュニティのキーマンはどう考えているか。競技終了後に聞いてみた。
チェアスキー金メダリストで北京パラチームリーダーの大日方邦子氏は
「若い選手をどう育てていくのかが課題。立位はベテランの選手が昔は入賞にかかるかどうかだったが北京では底辺の競争だった。そこでとどまってしまうのはすごく問題だと思っています。レースとして面白いよねと言ってもらえるのですが、歯痒いです。私も理事の任期が7月ですが、今回はしっかりと捉えて新たな体制としてスタートすることが大事。競技団体としてしっかり認識する必要があります」と話していた。
北京パラアルペンスキー日本代表監督の夏目堅司氏は
「世界に遅れをとっている課題がある。スタンディングクラスは若手を中心にする必要があり、チェアは育成選手の確保をすでに進めている。対策としてJスタープロジェクト(※)で資金を確保、SAJ(=日本スキー連盟)と連携した環境づくりを若手選手たちを中心に進めていくこと」と考えを話してくれた。
日本チームは男女チェアスキー(=座位)が世界に影響を与え、スタンディングクラス(=立位)は長くチェアの傍らで伸び悩んできた。
また、ビジュアルインペアード(=視覚障害)は世界的にも全盲のクラスは少ないが日本でも選手がなかなか確保できない。各クラス情報面の課題もあるようだ。これから多様な人材に出会いサポートを受け入れるなど体制をどう作れるのか。
知的障害は復帰できるのか
知的障害は長野大会(1998年)で加わり、次のシドニー夏季大会(2000年)の不正事件以降(※)組織全体の改善を求められ冬季も出場ができなかった。ロンドン大会(2012年)で夏季3競技(陸上・水泳・卓球)から正式に復帰している。2030年に札幌が冬季大会の開催地となれば冬季競技へも復帰の可能性がある。これを踏まえて既存のコミュニティとの連携を深め可能性を模索する必要がある。
何より、世界規模での感染症対策でスポーツだけでなくあらゆる文化の営みが打撃をうけたこの2シーズン。冬季パラアルペンスキーを目指すメンバーが選手、運営を含めつぎの4年、8年に向けどう変わることができるだろうか。
これからのスタンディングクラスはどうなるのか。
課題のスタンディングクラスだが、世界のパラアルペンスキーの中心といえる魅力もある。手・足・体幹のさまざまな障害の種類や程度により7のクラス(+5の調整クラス)に分けられている。健常者の強化を参考にできる可能性、陸上競技など義足スポーツの技術面を支える人々などからのサポートの可能性も潜在するかもしれない。そして何よりもベテラン選手が現役で取り組んできた知見を活かせるだろう。今大会4レースを完走した東海将彦は競技を終えてつぎのように話していた。
ーー(最終日は)どのように臨みましたか。
「最後なんで、怪我をまずしないように、楽しく元気よく滑りました。今日は輪をかけて暖かかったですが、4日間スキー場の協力でいいコースに仕上げてもらい、最後まで気持ちよく滑れました」
ーー今シーズンの感想は
「世界中がコロナでしたので自分だけではないですが、今までの半分もできない調整だったり、基礎の練習でした。どうしても限られた時間のなかで詰めて詰めてやらなくちゃいけなかったのは、この2年のコロナは厳しかったですね。思ったようにいかなかった。世界のみんな一緒だと思いますけど」
ーーLW3(両足に障害)のスタンディングで調整はどんなところが難しかったか?
「装具に対しては去年からトライしていたので、もうちょっと実際には時間が必要だったのかなと。(何パターンか試して)結局どれがいいかっていうことにもう1〜2年が必要だったとは想う。もうちょっと試してみたいことはあったので時間が欲しかったけど、限られた時間のなかでは、装具やブーツを作ってくれる人の協力があって、限られたなかでは最善は尽くせたのかなと思います」
ーー北京からあらたに学んだことは。
「中国選手以外はみなぶっつけ本番になってしまいました。コルティナとかですと既にあるスキー場で、コース自体は実際新しく作るかもしれないですが、滑る機会を増やしていって、実際のそこのアクセスだったり探らなくちゃいけないところがあります。行ってからだと日数も使われちゃいますし、プレ大会も含めてそのスキー場自体をあらかじめ熟知しておくっていうのが、ホームの選手にはかなわないですけど、アドバンテージになると思います。そういったところが北京での学びになったところだと思います」
ーー経験から今後へ伝えたいことは
「選手は最終的にはパラリンピックに出ることや、メダルを取ることが目標だと想うので、世界クラス水準のコースを経験する必要がある。トップチームでは、4年計画の最初の1年は基礎を固めるのがいいと思いますが、2年目3年目ではより難しいところで、本番のときに怯まないよう練習する必要がある。
つねにパラ本番の時って、いつもより難しいって感じるので、その難しいところでやるのを当たり前にして、最後本番に挑めると気持ち的にゆとりがでてくると思います。
実際トリノでメダルとった時も、自分のキャパを超えている感じのコースで滑っている感じになり、どこまで攻められるかわからない。練習は難しいところでやって、80%くらいの力でも勝負になるくらいに本番に余裕をもてるといい。海外遠征は日本チームでも数をこなしてきたが、コースの難易度は北京と比べるとはるかに低いところでの練習だった。自分のアメリカでやっていたコースでも難度は足りなかった。
(コロナで)時間が足りないこともありましたが、次のミラノ・コルティナダンペッツィオを目指す場合、より難しい本番を想定したコースでの練習が必要。現実的にできるかわからないですけれども、海外の選手と合同でもいいし、やっていったほうが本番でもっと発揮できるんじゃないかと思います。
北京のコースに対しても、個々の力の差はありますが、やりようによっては勝てそうなポテンシャルをもっている選手がいると思うので、環境についてもひと言では難しいですけれども、難しいコースで実践的なところをやっていければと思います」
<参考>
・Jスタープロジェクト
・シドニーパラリンピック健常者替え玉事件
(写真協力 日本障害者スキー連盟/堀切功)