障害者のサッカーといえば、ブラインドサッカー、CP(脳性麻痺)サッカー、アンプティ(義足)サッカーなど、さまざまな挑戦が行なわれている。足を使わず、電動車いすの操作で行なうサッカーは、重度の障害がある人でも、男女、障害の種類を問わず、さらに電動車いすに乗れば、障害のない人も一緒に楽しむことができる。
パラフォトの2004年アテネ取材で、パラリンピック種目のひとつ「CPサッカー」の取材を担当したジャーナリストの平野誠樹は、この電動車いすサッカーの選手である。
筋ジストロフィーが進行し、現在はプレイヤーではなく、監督として試合や体験イベントに関わっている。
「来年はブラジルで3回目のワールドカップを実現させたいと思っています。まだブラジルはうんと言ってくれませんが。(横浜クラッカーズの)毎週の練習にはもちろん出ています。もし、出られなくなったら、引退でしょうね・・」と話す。むろん、まだ引退する気はない。
横浜で名門チームを率いた平野だが、2007年東京で7カ国による初めてのワールドカップが行なわれた時は日本代表となれなかった。代わりに、日本代表の試合を伝えたい、と、パラフォトメンバーを率いて配信した。進行性の病を抱えた仲間の選手が試合に参加できなくなっていく様子を平野は見てきた。自分自身に近づいてくる変化も受けとめなければならないことを覚悟しているのだろう。今はそれを、持ち前の意志の強さ、サッカーに関わりたいという気持ちで固くはね除けているようだった。
第2回マルハン・電動車いすサッカーふれあい体験会
2月22日、「電動車いすサッカーふれあい体験会」が、平野が所属する株式会社マルハンと日本電動車いすサッカー協会により行なわれた。東洋英和女学院大学(横浜市緑区)の体育館で行なわれたこの体験会には、小学校4年〜6年の10名の子供たちが参加した。
体験会をリードしたのは、マルハン所属の野田拓郎、永岡真理ら日本代表クラスの選手4名。彼らにつづく横浜クラッカーズ、FINEなどの関東の強豪クラブチームから選手が参加。デモンストレーションの競技を披露したあと、初めて体験する小学生と一緒に1日のプログラムを楽しんだ。
静岡から参加の渡辺海(わたなべかい)君以外、みな障害のない子供たちだ。渡辺君も電動車いすは初めてだった。電動車いすの乗り方、止まり方、走り方など一通りの操作を覚えると、最後にゲーム形式で、ベテラン選手に混じって対戦した。
1日の体験を楽しく参加した渡辺海君は「難しいが、少しずつ、できるようになってきて、面白かった」と感想をくれた。テレビドラマで、電動車いすサッカーを見て、お母さんと2人でこの体験会に応募してきた。今回は試合に3回出場した。「今は、いろんな競技に参加させてみたい」と、お母さんは話していた。
電動車いすサッカーを2020年東京パラリンピック種目に!
平野には、JPFA会長の高橋弘選手らとともに「電動車いすサッカーをパラリンピック種目にしよう」という夢がある。
2020年東京でのオリンピック・パラリンピックの開催がきまり、近年多くのパラリンピック種目が注目されるようになってきたが、まだまだ知られていない電動車いすサッカーも、もちろん、名乗りをあげている。
種目に加わることができるかどうかは、今年11月にIPCにより決定、発表される。
重度障害の種目としては、ボッチャが1988年ソウルパラリンピックより正式種目になっているが、電動車いすサッカーは、参加国の少なさや、モータースポーツであり競技に費用もかかるという課題がある。2011年にパリ(フランス)で行なわれた第2回世界選手権では、日本は参加10カ国中5位という成績。重度に障害のある人たちの努力で育まれて来た成果である。世界の人々を勇気づけるスポーツで、多くの人に見てもらいたい。