1月28日(金)、横浜市の赤レンガ倉庫で開催された第5回ホースメッセ(1月27~30日)で、「第16回パラリンピック競技大会(東京)を経た今後のパラ馬術について」(主催 JRAD=一般社団法人 日本障がい者乗馬協会)というトークセッションが行われた。
東京パラリンピックを振り返って
パラ馬術はオリンピックの馬術と違い、選手それぞれの障害の状況や程度が違い、各自それに合わせて馬具や乗り方、トレーニング方法を工夫している。それが特徴であり、その中でどれだけのパフォーマンスを出せるかが見どころだ。
今回ゲストとして登壇したのは、昨年行われた東京パラリンピックに出場した日本代表4選手。すなわち、2016年リオパラリンピックに続いて2大会出場のベテラン、グレードⅡの宮路満英とコマンダー(経路を読み上げる人)の妻・裕美子さん。同じくグレードⅡの吉越奏詞、グレーⅢの稲葉 将、グレードⅣの高嶋活士だ。吉越以下、若手3選手はパラリンピック初出場だった。
東京パラに出場した感想について宮路は、
「東京で開催されたから、たくさんの人に応援してもらえて本当にありがとうございました。東京ではなく世界のほかの国で行われたならば、こうはならなかっただろうと思います」
と感謝を述べた。裕美子さんも、
「本当に、今回の大会は国内で、私たち二人は『楽しかったな~』という一言につきます」
と語る。
続く稲葉は、
「どんな形であれ、大会が開かれてよかったです。ぼく自身については、目標としていた得点率70%(団体種目)という自己ベストの成績を挙げることができ、これまでの練習の成果を一定部分、初出場で出せたのはよかったし、よい経験をさせてもらったと思います」
と、ある程度の結果を出せたことに満足しているようだ。
JRA(日本中央競馬会)の元騎手で、大会運営の飲料サーブを担当していたコカ・コーラボトラーズジャパンベネフィット(株)に所属する高嶋は、
「飲料水の提供をするために会社の方々がいらっしゃっていて、『頑張ってね』と応援してくれたのが励みになりました。また、会場の馬事公苑はJRAの施設なので知り合いの方々がいらっしゃっていましたし、皆さん応援してくれました。昔の馬事公苑を知っているので、あれだけ素晴らしい施設に変わって、そこで競技できたっていうのは本当にすごかったですね」
最年少、日本体育大学の学生である吉越は、司会の小河雅子さんから「何かおいしい物はありましたか?」と振られ、
「馬事公苑には太巻きなどがありました。選手村の方には、世界各国の料理が置いてありました。日本の郷土料理もいろいろあって、外国の選手もいっぱい食べていました」
と教えてくれた。食堂は24時間営業していたそうだ。
世界のレベルと戦った感想について問われると、
「ヨーロッパで何度か大会に出たことがあり、東京パラでは動きがどうなるかな、と思っていましたが、そんなにガタガタにはならず、ヨーロッパより楽にできました」
と宮路。裕美子さんも、
「いろいろな所で試合をやると、すごく緊張するのですが、今回は周りのボランティアさんなども日本人だということがあって、リラックスした感じで馬場に入ってきたように思います」
と補足した。
対照的に、「緊張しかしなかった」と笑う稲葉。
「世界の選手とのレベルの差をすごく感じましたし、これから長くやっていくにあたって、少しでも追いつけたらいいな、と思いました。それには、今コロナ禍のこんな状況ですが、あの選手たちと同じ場で戦う機会を増やしていかないと追いつき追い越すことは難しい、というのが正直な感想です」
と冷静に現状を認識しつつも、闘志を燃やす。
練習馬場まではリラックスできていたとう高嶋は、
「本馬場に入ると無観客だったせいもあるのか、シーンとしていて、すべてを自分一人でやる感じになってすごく緊張しました。でも、あの経験はこの先すごく活きてくると思います」
吉越もとても緊張したが、応援が力になったそうだ。
「いろいろな日本人のスタッフの方や、いつも応援してくださっていて、SNSで『頑張ってください』と書いてくださった方たちがいたので、その気持ちも込めて『頑張ろう』という気持ちになれました」
東京パラによってパラ馬術の認知度が上がり、メディアで取り上げられる機会も増えた。
「東京大会で終わり、ではなくて、これからもパラ馬術を応援していただけるように、ぼくらも成績含め頑張っていかなければならないと思います。引き続きできることを、練習などをしっかりして、大きな試合でいい成績を出せるように、というのはここにいる4人と、ほかの選手にも共通している部分なので、引き続き、パラ馬術のおもしろさや魅力をいろいろな形で伝えていけるようにしたらいいかな、と思っています」
と稲葉。
パリパラリンパピックを見据えて
2024年パリパラリンピックまであと2年。東京パラでは開催国だったため出場枠が4つあった。しかしパリパラリンピックでは、国際大会で各選手がクオリファイ(出場資格)をとり、高成績を挙げていかないと、団体戦の出場枠獲得は難しいという。
「チームで戦う権利をとれたら4人出られますが、チームで出られなくて個人で出るのを目指すとなると、以前のままだったらアジアで2枠しかありません。アラブなども含めたアジアで、シンガポールには70%超えるようなすごい選手がいて、香港にもいる。2枠に入るのはすごく難しいので、東京パラリンピックが終わった時から、次のパリではみんなで頑張ってチーム出場を目指さないといけない、と話し合っています」
と厳しい状況を語る裕美子さん。
4選手とも、まずは今年の8月にデンマークで開催予定の世界選手権出場が目標だが、コロナ禍で出場権をとれる試合が開催されなかったり、隔離期間があったりして先行き不透明だ。
世界選手権、ひいてはパリパラリンピックに向けての具体的な課題について尋ねると、
「東京パラリンピックの時に2回失敗してしまいました。体の右半身に麻痺があるので、左側に行くのがあまり得意ではなく、それを今調整しています」
と宮路。
「これまで以上に練習をしっかり行いつつ、現状、日本で世界選手権やパラリンピックの出場資格がとれる試合がないので、自分たちが競技活動をするうえで、環境づくりが大事かなと思います。自分がこの舞台に立つために、必然的にやることがだんだん見えてくるので、開拓し、その先に結果がついてくれば、選択肢を示すことにもつながると思います」
と稲葉。自分自身のステップアップだけではなく、パラ馬術を引っ張っていこうという気持ちもある。
「今現在は、なかなか動いていける状態ではないので、ともかく練習をして馬ともっとコミュニケーションをとれるようにしたいです。あと、パラ科目でなくても国内の大会に出て、健常者と並んで試合に出られるぐらいになっていきたいと思います」
と高嶋。
「東京パラで緊張してしまったので、緊張しないようなメンタルトレーニングや心理トレーニングをして、普段の生活から心がけるという練習をしようと思います」
と吉越。
選手それぞれが、今自分に必要なこと、できることを考え、パリパラリンピックに至る道を模索しているようだ。
子どもたちへのメッセージ
ホースセラピーの活動をしている参加者から、パラリンピックやパラ馬術に興味を持っている小・中学生へのメッセージを、と乞われ、
「馬に乗るには体幹も大事だし、馬に乗る時間は限られているので、楽しくトレーニングできる方法を教えてあげて、日々続けていると、次に乗った時に『あ、こんなことが違う』となるのではないかと思います」
と裕美子さんが言えば、宮路も「ラジオ体操がいい」と助言。
中学入学直前から馬に乗り始めた稲葉は、
「小学生や中学生だと自分が好きで乗ってる子が多いと思いますが、やはり乗っている間、楽しむことですね。楽しくないとだんだん練習がつらくなって、馬に乗るのもいやだってなると元も子もないので、まずは楽しく続けられること。出会う機会を作ること。それを継続することが一番大事かなと思います」
高嶋は、
「若いうちから馬とふれあっていると、それだけ多くの経験を積めますし、上達するのも早い。ですが馬術は長い目で見た方がいい競技でもあるので、すぐ『あ、だめだ』と思わずに、長い年月をかけてゆっくりやっていくのがいいのかな、と思いますね」
生後6か月ぐらいの時に「将来、歩けない。車椅子になる」と言われてホースセラピーを始めたという吉越は、
「『馬に乗ると歩ける』『馬に乗ると楽しい!』と思って、すごく気持ちが入るようになりました。馬に乗るのはもちろんですが、馬にニンジンをあげる、馬房をそうじするなど馬とふれあったり、手入れをしたりすることを通して経験を積み、馬と一緒に『楽しい!』という気持ちを分かちあえるようになるといいと思います」
と自分の経験に基づいてアドバイスした。
トークセッションでは、東京パラの選手村で好きだった食べ物をそれぞれ聞かれて「朝からギョーザを食べていた」、練習がいやになったことはあるかと聞かれて「しょっちゅう、あった」など、飾らない言葉も飛び出した。
パラ馬術代表として日本トップレベルの選手たちではあるが、特別な天才ではなく、「馬に乗ることを楽しみながら、努力してきたのだな」と等身大に感じられた。後に続く者たちに夢や希望を感じさせる、なごやかなトークセッションだった。
(写真提供 JRAD)
※この記事は1月28日のセッションの直後に書かれましたが掲載が遅れましたこと、お詫び申し上げます。(パラフォト2020東京取材班・佐々木延江)