先日開催された東京パラリンピックでは、唯一のサッカー競技であるブラインドサッカーがブラジルの5連覇、日本代表は初出場で5位という結果で幕を閉じた。競技の正式名称は5人制サッカー(Football 5-a-side)、聞き慣れない名称に戸惑った方も多いのではないだろうか。
東京パラリンピックのサッカー競技は、“5人制”のみだったが、前回のリオデジャネイロ大会までは7人制サッカー(Football 7-a-side)も行われていた。7人制サッカーは通称CPサッカーと呼ばれている。CPとは脳性麻痺(Cerebral Palsy)のことであり、脳性麻痺者や、脳外傷、脳血管障害等により麻痺が残る者で、杖なしで歩行走行が可能な肢体不自由者によるサッカーである。少年サッカーとほぼ同じ大きさのフィールドで、オフサイドがなく、片手で下からのスローインが認められている等のルールがある。
5人制サッカーがパラリンピックに採用されたのは2004年のアテネ大会以降だが、7人制サッカーはそれより20年も前の大会から行われていた。いわゆる健常者のサッカーが11人制なのに対し、肢体不自由者のサッカーが7人制、視覚障害者サッカーが5人制と呼ばれるようになった。
1984年のパラリンピックは五輪開催地のロサンゼルスではなく、パラリンピック発祥の地イギリスのストークマンデビルとニューヨークの2か所で開催されている。7人制サッカーはニューヨークで開催された大会で行われ、以来9大会、パラリンピック競技として定着してきていた。オリンピックの開催地でパラリンピックを行う流れは1988年のソウル五輪からである。
では何故7人制サッカーが東京大会では姿を消したのだろうか。
国際パラリンピック委員会(IPC)は、「IPCの定める世界的に普及するための最低基準を満たしていない。パラリンピックに参加するためには、最低でも24カ国とIPCの3つの地域で行われる必要がある」と説明している。その国で競技が行われている基準として、国内で大会が開催されているのか、国際大会には出場しているのか、そういったことも考慮されたという。
5人制サッカーはリオ予選において各地域で予選を行い、アジアでは日本開催のアジア選手権が予選を兼ね、日本代表は中国、イランの後塵を拝し出場を逃した。
一方7人制サッカーは、イングランドで開催された世界選手権(Cerebral Palsy Football World Championships 2015)の上位国がパラリンピック出場権を獲得。リオパラに出場したのは、8か国中4か国がヨーロッパで、アフリカは予選を兼ねた世界選手権にも出場していない。こういった地域の偏在が理由のようだ。
またクラス分けの問題点も指摘され、その後、制度を変更。最軽度の選手の中には出場できなくなった者もいる。また7人制、5人制ともども女子競技の普及も求められている。
2013年オリパラの東京招致が決まった際、真っ先に頭に思い浮かんだのは、「5人制と7人制のサッカー日本代表が開催国枠で出場できる!」ということだった。ことに7人制は予選を勝ち上がっての出場がかなり難しく、開催国枠で参加できるとなれば画期的なことだった。だが東京パラリンピックでは競技そのものが無くなってしまった。
結局7人制は、2024年のパリでも競技採用が認められなかった。サッカー競技には7つの障害者サッカーがあり、その中からアンプティサッカーと電動車椅子サッカーも手を挙げていたが、いずれも採用されなかった。
アンプティサッカーは、主に足や腕に切断障がいのある人が行う7人制サッカー。日常使用している義足を外し、ロフトストランドクラッチという杖で体を支えながらプレーする。キーパーは上肢切断者が担う。攻守の切り替えも早くゴール前の迫力あるシーンも多く、クラッチを軸足としての打点の高いボレーシュートなども魅力の一つだ。陸上競技の専用義足のような特別な器具を必要としないので、比較的気軽に楽しめるスポーツとも言える。パラリンピックでは、クラッチをプレー中に使用している競技は他にない。
電動車椅子サッカーは、選手の多くが自立した歩行ができず、自らの足代わりの電動車椅子を自在に操り、足元に取り付けたフットガードでボールを蹴る、男女混合の4人制サッカーだ。ボールを奪い合う迫力、ピンボールマシンのような速いパスからのシュート、競技を知らない者の想像をはるかに超えたスピード感、そして緻密な戦術性を持った競技である。クラス分けはPF1とPF2に分かれており、より重い障害のPF1はパラリンピック競技で言えば、ボッチャのBC3に相当し最重度の障害と言える。呼吸器を付けてプレーする選手も少なくない。電動車椅子サッカーが正式競技になれば、筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症(SMA)等の重度の難病の者にとって、よりパラリンピックへの出場の可能性が広がる。
2つのサッカーはともに世界大会が開催されているが、前述した「パラリンピックに参加するためには、最低でも24カ国とIPCの3つの地域で行われる必要がある」という基準に該当しないと判断されたものと思われる。
例えば電動車椅子サッカーは、2017年アメリカ大会ではアジア予選はなく、参加するにあたっての資金面の困難さもあり手を挙げた国が参加できるという状況だったが、2022年オーストラリア大会ではアジア・オセアニア地区予選が2019年に行われ、日本が予選を勝ち上がっている。各地区で予選が開催されることもパラリンピックに正式採用されるための前提条件となるようだ。
パラリンピックに参加できるのは、筋力低下、他動関節可動域障害(受動的可動域障害)、四肢欠損、脚長差、低身長、筋緊張亢進、運動失調、アテトーゼ、視覚障害、知的障害のいずれかに該当する者となっている。
ブラインドサッカーは視覚障害。CPサッカーは, 筋緊張亢進、運動失調、アテトーゼ、アンプティサッカーは四肢欠損、電動車椅子サッカーは、筋力低下、筋緊張亢進、運動失調、アテトーゼに該当し、これら3つのサッカーは肢体不自由者のサッカーである。
では知的障害者のサッカーはないのかと言うと、世界中で幅広く行われ世界大会も開催されており、日本も参加している。国内においても特別支援学校で盛んに行われており、横浜マリノスの知的障害者サッカーチームとしての横浜F・マリノスフトゥーロの活動などもある。ルールは健常者のサッカーと基本的には同じである。
パラリンピックには元来知的障害の競技はなかったが、1998年の長野で初めて知的障害者が参加、しかし2000年のシドニーパラリンピックにおいて、金メダルを獲ったスペインのバスケットチームに多数の健常者がいたことが判明、以後、知的障害の競技はパラリンピックから締め出された。しかし2012年のロンドン大会よりいくつかの競技の参加が認められ、今大会では陸上、水泳、卓球に知的障害者アスリートが参加した。
意図的に健常者が参加することは論外としても、身体障害と比べ、知的障害のボーダーラインの判別は難しい。各国の代表選手クラスは障害的には軽度の選手が中心となるから尚のことである。
ここまで紹介したサッカーはパラリンピックの正式競技にはなっていないが、個々の選手はパラリンピックへの参加資格を有している。だが障害者サッカーには、それにはあてはまらないものもある。
一つは精神障害者のサッカーで、ソーシャルフットボールと呼ばれている。サッカーを通じて社会とつながる、社会復帰の糸口とするといった意味を込めてのソーシャルである。2016年に大阪で第1回の世界大会がフットサルのルールで開催された。国内特別ルールでは、女子選手が男子に混じってプレーする場合に6人でのプレーが認められている。
そしてもう一つは聴覚障害者のサッカー、デフサッカーである。デフサッカーも世界選手権、そしてデフリンピックが開催されている。デフリンピックは、ろう者自身が運営する、ろう者のためのオリンピックであり、パラリンピックとは別の道を歩んできた。第1回大会はパラリンピックよりはるか以前の1924年にパリで開催、以後、原則として4年に一度開催されており、2025年東京デフリンピック招致活動も進んでいる。
補聴器の装用は禁止されており、情報としての音はピッチ上にはない。ルールは健常者のサッカーと同じだが、主審がホイッスルを吹く際は、手に持ったフラッグを振り視覚的に反則やスタートを知らせる。ブラインドサッカーとはある意味、対極にあるサッカーで、サッカーの連係の生命線でもある声がない代わりに、視覚や事前の約束事で補うしかない。「見る。とにかく見る。顔をあげないと伝わらないから」というサッカーだ。
またこれまで紹介してきたサッカーのなかで女子の代表チームがいち早く創設されており、また近年はデフフットサルも盛んで、世界選手権に男女の代表チームが参加している。
ここまで紹介したように障害者サッカーといっても、ブラインドサッカー以外にも6つのサッカーがある。その他、ロービジョンフットサルと呼ばれる弱視者の競技もある。つまり障害者サッカーのごく一部しかパラリンピックでは開催されていないということだ。
障害者サッカーに限らず、パラリンピック競技以外の障害者スポーツは多々ある。そして多くの競技団体がパラリンピックに採用されることを望んでいる。これまでの大会はともかく、東京パラリンピックでは注目度が俄然上がったし、強化予算もけた違いだった。ただもし条件を満たして、複数のサッカー競技やその他の障害者スポーツが正式競技になっていくと、パラリンピックが巨大化し過ぎてしまうのではないかという懸念もあるだろう。
筆者は知的障害者サッカー、デフサッカー、電動車椅子サッカーとの関りが深く、それに比してパラリンピックはとてもとてもメジャーな存在に見えていた。
今大会でテレビやPCでパラリンピックに触れた人々は、手や足が欠損した選手や車椅子ユーザーといった、普段はあまり“見慣れない”人々の存在を“見慣れた”だろうか。テレビ越しでも、“見慣れる”ことは意味のあることだったとは思う。
一方でパラリンピックは、大会を通じ共生社会の実現を促進することを目指しているというが、開催や観戦だけでは、障害への理解、共生社会への実現へと、一足飛びにいくには無理があり過ぎる気がする。例えばパラリンピックは見た目にわかりやすい障害の人が多いが、ここまで紹介してきたように、軽度の知的障害、精神障害、聴覚障害など、見た目にわかりにくい障害も多い。大前提として、パラリンピックは障害者スポーツの一部、また障害の面からも一部の障害者の大会であることが理解されなければ、その先の理解につながることもないだろう。
大会期間中、パラリンピックにはない競技、ことに電動車椅子サッカーのことが頭をよぎることが多々あった。長年の関わりがあり思い入れのある競技でもあるし、大会期間中に知己の選手が亡くなったからだ。電動車椅子サッカーの元日本代表として活躍した中野勇輝さん、享年33歳だった。
ブラインドサッカー日本代表が、五輪代表と同じユニフォームを身に纏い、フランスを相手に4-0と歴史的な勝利を飾った8月29日、その日が命日となった。
電動車椅子サッカー日本選手権大会の開会式では、1年の間に亡くなった選手に黙祷をささげるのが慣例となっている。だが大会はコロナ禍で昨年に引き続き中止。2020年2月に急逝した井上純選手(享年22歳、2019年10月開催のW杯アジア・オセアニア地区予選で活躍)や、2020年8月に逝去した中井皓寛さん(享年25歳、2016年秋までは日本代表候補として選ばれ続けた)たちへの黙祷も来年に持ち越しとなった。大会中止は、感染すると重症化する恐れがある選手たちも多いため致し方ないが、眼前で開催されているパラリンピックとの対比に、やるせない思いも尽きなかった。
(写真協力・内田和稔、FC PORT、中村 Manto 真人 校正・佐々木延江)