東京パラリンピック最終日の9月5日、バドミントン界にニュースターが現れた。
その名も梶原大暉(WH2/日本体育大学)、19歳。
シングルス決勝では、世界ランク1位のキム・ジョンジュン(WH2/韓国)にストレート勝ち。世界ランク6位の梶原にとって、キムに勝つのは初めてのことだった。
最後のスマッシュを決めた瞬間、力強いガッツポーズと笑顔が弾け出た。
同じ日に行われたダブルス3位決定戦(WH1-2)では、47歳の村山浩(WH1/SMBCグリーンサービス)と組んで銅メダル。
2つのメダルを手にした梶原は、一躍バドミントンで注目される存在となった。
東京パラリンピックで初めて正式種目となったバドミントンで初代王者となった梶原。
もともとは野球少年だったが、中学2年の時に交通事故に遭い、車いす生活となった。
バドミントンを始めたのは高校生になってから。競技歴4年ほどで世界一になれた背景には、野球経験が生かされている。
1つ目は、「空間認知能力」。野球のボールやバドミントンのシャトルを正確に捉える力だ。
2つ目は、「強肩」。ピッチャー出身ゆえに鍛え抜かれた自慢の肩だ。
3つ目は、「根性」。野球で培われたメンタルが、バドミントンでの厳しい練習でも活かされたのだ。
梶原が理想とするのは、車いすテニスで金メダルを獲得した、国枝慎吾(ユニクロ)。
「パラバドミントンの顔のような存在になりたいですね。競技の普及のためにもプラスになるので頑張らないといけない」
3年後のパリ大会は22歳で迎える。シングルスでもダブルスでも金を取って、2冠達成を誓う。
(撮影=秋冨哲生 校正=佐々木延江)