東京2020パラリンピック競技大会に出場する5人制サッカー、通称ブラインドサッカー日本代表の守備の要、田中章仁選手(NTTクラルティ株式会社)にオンラインでインタビュー取材をする機会を得た。田中選手は2009年に日本代表に選出され、長きにわたり中心選手として活躍してきた。ロンドン、リオデジャネイロパラリンピック予選等、これまでの代表活動を振り返ってもらうとともに、東京パラリンピックへの意気込みを聞いた。
中村 パラリンピックが延期になったと聞いたときはどうでしたか?
田中 うーん、そうですね…。厄年かなと思いました。本当にこんなことがあるのかというのが第一印象でしたが、「中止にならなくてよかった」というのと「1年は長いな」とは思いましたね。逆にそういうときにオンラインでどう仕事すればいいのかバタバタだったので、それで気が紛れたのかなと。課題は山積みだと思っていたので、時間が経ってからは「トレーニングする時間もまだ取れる」と気持ちを切り替えることができました。
中村 フルタイムで働いているんですよね。
田中 フルタイムで仕事はしているんですが、代表活動も勤務の一部にしてもらっています。パラリンピックまでという話だったのですが1年延びてしまって、この間はずっと勤務も融通してもらっていますけど、基本的に平日は仕事をしています。
中村 コロナ禍、当初はトレーニングもオンラインでやっていたそうですが。
田中 家の中でできること、ボールタッチとか筋トレとかやってはいたんですが、できることが限られていて、ジャンプしてドンドンやるわけにいかないですし、オンラインで選手同士で繋がっていられることで頑張っていこうというモチベーションにはなったと思います。物足りなさはあったんですけど。
中村 ピッチ上で練習できるようになったときはどうでしたか。
田中 サッカーはピッチでやらないとトレーニングにならないなと思いましたね。
田中章仁がブラインドサッカーを始めたのは2006年2月、2008年に行われた日本代表選考合宿に参加、強化指定選手に選出され、翌2009年のアジア選手権(東京開催)に出場した。
中村 2009年日本代表デビュー当時の田中選手のプレースタイルはどんな感じでしたか?
田中 当時からディフェンスの選手という感じでシュートコースに入ってブロックしたり、1対1で付いてボールを奪うことはできていました。今みたいに守備陣形を整えてチームで奪うというよりは個人で奪うというような戦い方だったので、その中でディフェンスとして力を発揮できていたかなと思っています。
中村 あまり教えてもらわなくても最初からできていたわけですか?
田中 誰かに教わったわけではなくて。弱視だった頃、学生時代にいろんなスポーツを普通の人に混じってやっていたなかで、サッカーのイメージや、相手にディフェンスするときにどうやって体を寄せていくか、身についたのかなという気はします。
中村 本格的にやっていたのではなく遊びに近いプレーのなかで?
田中 ですね。遊びの中でボールを蹴るというのもそうですし、サッカーじゃなくても体育のバスケで、体育館の中は外より暗くてバスケのボールも床と同系色で見えにくかったのでディフェンス頑張るみたいな。相手に触りながら付いていくみたいなことやっていたのが活きたのかなと思います。
中村 当時の代表では守備に専念する感じですよね。
田中 あまりドリブルができない選手で、ボール持ったら蹴り出すぐらいしかできなくて。そうなると、やはり最後尾のポジションが多かったです。
中村 東京パラリンピックでもグループリーグでの対戦が決まっている中国とは、2009年のアジア選手権でも対戦していますが、その頃の印象は?
田中 なんでこの人たちはこんなドリブル、ボールを離さず持ち続けられるのだろう?という印象ですね。それは今も変わらないですけれども。ドリブルで前に進んでくる選手はどの国にもいるんですが、ディフェンスがたくさんいるなと思ったら戻っていったりとか、逆サイドに運んで攻めてきたりとか、凄い技術だなと思う反面「これサッカーとして面白いか?」と思いながらやっていました。
中村 その当時の代表選手から「日本はパスをつないでいくサッカーをやりたい」みたいなことを聞いていて、やはりそういう考えはその頃からあったのですか。
田中 そうですね。当時というか今もそうですけど、黒田(*)も自分のチーム(たまハッサーズ)にいるということもあって、クラブチームでやるときは自分のパスから点が入るというのがすごく楽しくて。名波さんがいた頃のジュビロのサッカーが凄く好きで、パスサッカーをしたいと自分はずっと思っていました。中盤でパス出す選手が好きで、名波さんが一番好きなんですけど。
(*黒田智成は日本代表の立ち上げ当初からの中心メンバーで、現在も尚、進化を続けるストライカー。ルーズボールへの反応とスピードにのったドリブルからのシュート力が持ち味)
中村 弱視の頃はテレビでサッカーもある程度見ることができていたのですか?
田中 試合も見ていましたし、サッカーのテレビゲームもやっていました。
田中章仁は1978年5月生まれ、3 歳で網膜芽細胞腫のため右目を摘出。左目の視力は0.2ほどでテレビでサッカーを見ることもプレーすることもできていた。だが遠近感はあまりなくコートが広いとボールを見失ったりすることも少なくなかった。その後2002年24歳の時に左目を手術。術後の経過が思わしくなく、見えなくなったという。現在は明るさを判別できる程度である。
中村 時間軸に沿ってお聞きしていくと、2011年アジア選手権(仙台市開催)のイラン戦が独特の緊張感ですごい印象に残っているというふうにプロフィールに書かれています。自分も生で観ていて強烈な記憶として残っているのですが、そのときの試合の印象は?
田中 引き分ければロンドン(パラリンピック)に行けるという試合で、前半0-0だったんです。自分の中でも引き分けに持ち込む気持ちが強くなって、チーム全体が0-0でいくんだみたいな。どちらかというと守りの気持ちになったところで攻め込まれて2点取られて…。守ろうという気持ちが良くなかった。
中村 “ドーハの悲劇”のハーフタイムがけっこう浮ついた雰囲気だったという話がありますが、ハーフタイムの雰囲気はどんな感じでしたか?
田中 このまま頑張ろうみたいな感じだったと思います。なんかこう、点取りに行くぞというムードではなかったです。
中村 今思えば何が足りなかったと思いますか。
田中 点を取られないために何をするかということが明確ではなかったという気がします。今だったら点を取られないためにラインを低くして、ここにボールが出たときから、このラインを超えてきたらファーストディフェンスが当たりにいこうとか、明確に戦術に落とし込めると思うんですが、その時はそこまではなくて「頑張って守るぞみたいな」
中村 その後、魚住稿監督になって、守備はすごく整備された印象がありましたが「頑張って守るだけじゃ駄目」みたいなことから、そういう流れになったのでしょうか。
田中 魚住監督になって、今の高田監督がゴールキーパーコーチに入って「キーパーが守るためにはしっかり守備陣形整えないといけない」というところから守備は整備されたのかなと思います。
中村 具体的にはどんな感じですか?
田中 個人個人で当たるのではなく陣形で。1対1で勝負し続けるのではなく、菱形を作ってブロックで動いて相手のドリブルを阻止していく。逆サイドに出されたら、そちらに走っていって菱形を作り直すというように、どうやって陣形を維持し続けるかの練習をすごくしました。
中村 守備に関してはさらに精度が高まっていると思うのですが、基本的には今もその延長線上という感じですか。
田中 そうですね。陣形を整えるという意識を持って、あとは菱形を大きくするのか、前に持っていくのか、応用だけかなとは思っています。
中村 その他、代表で印象に残っている出来事として、2014年世界選手権(東京開催)で日本のサポーターの前でプレーできたことを書かれています。有料観客が1000人ぐらい入りましたよね。「すげーな」と思ったんですけど。
田中 あれだけのお客さんが集まって、応援の力をすごく感じました。2010年イギリスの世界選手権にも日本の応援団が数人来てくださってはいたんですけど、スタンド全体が日本の応援というのはすごいなと。
中村 今度のパラリンピックは観客が入るかどうかわからないですけれど、入ればきっと大きな力になるんだろうなという気はしますが。(インタビューは観客の有無が決まる以前の7月12日に行われた)
田中 入ってほしいですけど…。
中村 入るとしたら観客席の半分ですから2150人、2000人ぐらいは入る。
田中 入ってほしいですけど、やれることをやるしかないです。
中村 リオデジャネイロパラリンピック予選を兼ねた2015年のアジア選手権(東京開催)ですが、初戦の中国に負け、2戦目のイランに引き分けて出場を阻まれています。勝たなくてはならない試合で勝てなかったイラン戦が、強烈に印象に残っているんですが。
田中 イランって、いつも負ける相手ではないと思っているんですけど、勝てないことが多いんですよね。
中村 2011年ロンドン予選は引き分けでOKのイランに負けてしまった。2015年リオ予選は勝たなくてはいけない試合で引き分けてしまった。2011年は守り切れない守備力が課題だったが、2015年は攻撃力が課題になった。それで2015年高田敏志監督に代わり、攻撃力アップというふうな流れになったのかなと思っているのですが。
田中 そうですね。(以前は)簡単に言うと4人で引きこもってボールを奪ったら1人でカウンター、3人は後ろで待っているみたいな攻撃しかなくて。2014年世界選手権で決まったゴールも僕が後ろからロングパスを(黒田)智成に出してそれを決めたりとかカウンター気味で智成が決める、 3人の選手は後ろで待っているみたいな。攻撃の回数も少ないですし攻撃の厚みもなかったところが課題になって、勝つためにどうしたらいいかとなったときに「やはり攻めなくてはいけない」。守備はベースとしてあるので、攻撃の強化となったのだと思います。
中村 チーム全体の攻撃力アップのためには、選手個々も攻撃力をアップさせなくてはならなかったのでは。
田中 正直2015年までは全然ドリブルを求められてはいなかったので(笑)、高田監督体制になって、パスの精度もそうですし、ドリブルで運ぶことも求められるようになってきて、守備から攻撃に繋ぐ、いかにいい形に繋ぐか、そのあたりの自分のプレーの強化は課題になってきたと思っています。
中村 先ほど話に出た名波さんじゃないですけど、ボランチ的な役割が増えてきた感じですか。
田中 そうです。奪ってから、じゃあどうするんだ。前に運ぶなり、つなぐなりしなきゃいけないよね。運ぶ、つなぐというところの強化、自分にとってはそこがすごく重要な仕事になってきた。
中村 だからといってすぐできるわけじゃないでしょうし、いろいろ工夫されたこともあったかと思います。
田中 サッカーのコーチにきちんと技術を教わったことがなかったので、ボールを止めて蹴ることから始めようと。ガイドをやっている中川さんのクーパー・コーチングというところがあるんですけれども、そこのスクールのコーチに週1回教わるようになって蹴り方の修正から始まり、キックの精度とか、個人の技術レベルを少しずつ上げていった感じですかね。
中村 自分でもうまくなっている実感がありましたか?
田中 蹴り方とか、そのときの技術的なポイントを教えてもらえるので、ミスキックしたときに、なぜミスキックしたのかという分析もできるようになりました。シュートも、以前に比べれば強いシュートが打てるようになりましたし、ドリブルも本当に運べなかったんですけれども、今では多少は運べるようになって、やればやるほど上手くなれると実感しています。
中村 試合を観るたびにうまくなっている印象があって「いつの間にこんなことができるようになったんだ!」と驚いた記憶があります。
田中 いきなり要求レベルをすごく上げられてしまうと自分も心が折れてしまったかもしれないですが、高田監督、中川コーチが、うまい具合にちょっと上のレベルを要求し続けてくれたことで、そこに追いつこう追いつこうと。1個課題をクリアするとまた新しい課題が出てくるみたいなことで、うまく自分のモチベーションを保ちながら成長させてもらえたと思います。
中村 守備の面でも最後尾に入る場合と、佐々木ロベルト泉選手(*)と入れ替わったりする場合もあると思うんですけど、そういう面では応用性が出てきた感じですか?
(*佐々木ロベルト泉は日本代表選手。1対1の強さや前線への正確なパスが持ち味)
田中 自分が中盤に入るときはゴールに繋がるパスを求められていると思うのですが、ディフェンスだけではなくて攻撃に参加することができるようになってきたので、中盤のポジションでも使ってもらえるようになったのではないかと思います。試合開始時点で最後尾にいても流れの中でポジションチェンジしていくシステムなので中盤になったりすることもあるんですが、そういう意味ではいろんな技術を身につけることで試合中のポジションの流動性というのはどんどん上がっていくのかなと。そうすると相手もどの選手が出てくるのかわからない、違うタイプの選手が攻めてくるというのは混乱する元になると思うので、自分のレベルアップがチームのレベルアップに繋がるかなとは思います。
中村 昨日の紅白戦では攻め上がる場面もありましたよね。(インタビュー前日、代表合宿がメディア公開された)
田中 みんなから「早く戻れ」って言われるんですけれども(笑)。
中村 でも点取ったら文句言われないじゃないですか。是非代表でのゴールを見てみたいです。
田中 監督に約束しちゃったんで。パラリンピックでゴールを決めると約束しちゃったんで。
中村 期待しています! ディフェンスの選手で攻撃力もあるというと、アルゼンチンのフロイラン・パディージャ選手はすごい選手だと思うんですけど。
田中 パディージャ選手は自分がここ数年で一番リスペクトしている選手です。守備もできてドリブルで運ぶこともできますし、ロングパスを蹴り込んでチャンスを作ることもできて、本当に目標としたい選手だなと思っています。
中村 田中選手は攻撃能力がアップしたのと同時に、フィジカル能力もアップしてきましたよね。
田中 前体制(魚住監督体制)まではコートの3分の1をうろちょろしていればよかったんですけれども、今は全面を走り回らないといけないので体力はついたかなと思います。ロベルトとかフィジカルすごい奴いますけど、相手に負けないフィジカルはつけなきゃいけなくて。負けないというのは力でというのではなく、動きや体の使い方も含めてディフェンスで付いたときにしっかりと付いていけるような、そこは上がってきたかな。
中村 働きながらの体力アップは大変だったと思うのですが。
田中 でも意外と代表の練習に参加していれば身についてくるというか、自分自身がそこまで自分の体を鍛えて追い詰めてきた経験があまりないので年齢的にピークより落ちてきたという感覚がなくて、やればやるほどフィジカルが上がっているなという感覚があって楽しくやれているのかと思います。
中村 どんなトレーニングをしたのですか。
田中 基本的にフィジカルコーチの中野さんが、筋トレ以前に、体の使い方や動かし方、どこを意識して体を動かすかというトレーニングを中心にやってくれて。例えば上半身を、川村玲(*)のドリブルを見てもらえばわかると思うんですけど、上半身が自由に動いてちょっと押されても上半身を横にずらしてドリブルはぶれずに前に進めたり、そういうところのトレーニングをすごくやれているのかなと思っています。自分はそこまでは動かないんですが、少し意識するだけでも相手に押されたときにうまく体をずらして吹っ飛ばされないようになってきたりとか。体の使い方をイメージしてのトレーニングが効果的だったのかと。
(*川村玲は日本代表のキャプテン。突破力、様々なバリエーションからの得点力、いなしの技術が持ち味)
中村 当たられても衝撃を散らすって感じですか。
田中 ぐっと力を入れて固くなってしまうとドーンと押されてしまうんですが、当てられた側だけうまく力を抜いて、反対側は残すみたいなことができる。「怪我予防のために柔軟を頑張れ」って言われてもなかなかできないんですが「守備のときにこう動けばもっと効率よく守備できる、ふっ飛ばされないよね」「体を動かすために柔軟性も必要」と言われると柔軟も頑張ろうというふうになってきました。昔は体を柔らかくする、けが予防みたいなことしか頭になかったんですけれども、何のためにやるかロジックで考えられるようになりました。監督もよくサッカーはロジックだと言うんですけれども、そうだなと思っています。
中村 昨日、声出しの練習もしていましたが、声の連携も重要ですよね。
田中 そうです。声を出すことは大事ですが「いつ出すか?」ということもすごく重要で、「いつ出すか?という練習もしましょう」とボイストレーナーとも話したんですけれども、声の質+タイミングというところをもっと突き詰めていくともっと連携も良くなるのかなと思っています。
中村 最後尾にいるときは自分が声を出すことが多いと思いますが、聞く場合もあるわけですよね。
田中 僕が声を出すと周りの選手は僕の位置がわかるんですが、答えてくれないと周りの選手の位置がわからない。コミュニケーションは双方向でやらないと意味がないと周りの選手に言っているんですが。ボールに集中してしまうと声が出しづらいんですよね、フィールドの選手は特に。一番ボールに近い選手は仕方ない部分はあるんですけど、他の選手が声を止めてしまうと陣形が崩れてしまったりするので、ディフェンスのときは特に。逆に攻撃のときは声が聞こえないとパスの正確性、精度が落ちる。それを拾うのが好きな選手もいるんですけど、やはり精度の良いパスを通すためには声が必要ですし、そういうところをもうちょっと突き詰めていくと「なんでこのパス通るの?」みたいな攻撃ができるかなと。
ワールドグランプリ(2021年東京開催)のアルゼンチン戦では声の連係ミスから失点してしまったので、そこは外からの声がけも含めて、改善できる点。ゴールキーパー、センターコーチ、ガイドを含めた7人の声の内容、タイミングというところをもっと高めていくと、良い攻撃、良いディフェンスができるのではないかと思っています。
中村 代表で印象に残っていることとしてもう一つ、2018年ベルギー遠征でイラン戦に勝ったことをあげられていますが。
田中 やっと勝てたというところですかね。それまでは何で負けるかわかんないみたいな。圧倒されている気はしないんですが何か決められてしまうというチームで、すごくモヤモヤがあったんですけど、やっと勝てたなという印象が強いですね。ブラジルに負けたりすると清々しいと思う部分がどこかにあるんですが、イランに負けるともやもやするところがあったので、やっとすっきりしたなという気持ちでしたね。
イランはリオデジャネイロパラリンピックでは銀メダルを獲得、東京大会も出場権を得ていたが辞退し、タイの代替出場が決まっている。
中村 グループリーグでは、もう一つのアジアの強敵というか、なかなか勝ちきれなない中国との対戦が決まっています。
田中 2019年のアジア選手権でも2点取ったんですけれども2点取られてPK戦で負けていて、強いところとやると燃えるので個人的には。10年かかっちゃいましたけど、すっきり倒したいなと思います。
中村 同じく予選プールで対戦するブラジルの印象はどうですか。
田中 高田監督体制になってから何回か試合をやっていて、リカルド選手(*)はいないことが多かったんですが、いなくても強いのに、いたらどうなるんだろうっていうのはあります。個人的にはコテンパンにやられている試合もあるんですが、良いイメージで戦えている試合もあるので良い試合をしたいなと思っています。
(リカルド・アウベスはブラジルの絶対的ストライカー。北京、ロンドン、リオデジャネイロパラリンピックの優勝メンバー)
中村 同じくフランスの印象はどうですか?ワールドグランプリでは田中選手のパスが繋がり1点取って勝ちましたが。
田中 あれは決めてくれたからいいものの、決めてくれなかったら苦しい試合でした。フレデリック選手(*)がやっぱりカウンター気味に攻めてくるのもすごく脅威ではあるので、そこをしっかり守って。他のブラジルや中国に比べて攻める時間もあると思うので、確実に決めるというところがポイントで、(川村)玲と(黒田)智成には頑張ってもらおうかなと思います。
(*フレデリック・ヴィルルは、フランス代表のキャプテンで攻守の中心選手)
中村 パラリンピックでは自分のどんなところ、チームのどんなところを見てほしいですか。
田中 チームで言うと、ポジションチェンジをしながら攻めていくところを見てほしいと思いますし、自分のプレーで言うと、やはり(ボール)持って、パスですかね。昨日もいいパス通したつもりですけれども、決めてくれない場面もありましたが、ああいうのをちゃんと決めてほしいと思います。
中村 日本代表はサムライブルーやなでしこジャパンと同じユニフォーム着ることになりましたが。
田中 嬉しいという一言ですね。いろんな事情で今まで違うウエアだったんで。やはり同じウエアとなるとより気が引き締まるというか、同じ日本代表なんだなという気持ちは強くなる。
中村 改めて東京パラリンピックへ向けての気持ちを聞かせてください。
田中 東京でやることで日本の皆さんがより注目してくれる。応援を力に頑張りたいなと思っています。可能性がどうこうとか関係なく、やるからにはてっぺんを目指しているので、自分たちが積み上げてきたものを全部出して、出し切れば結果としてついてくると信じて頑張っていきたいなと思います。
(黒田)智成とかもそうですけれど、自分が始める前からやっている人、またはその時その時で頑張ってくれていた人たち、そういう人たちの思いも含めて、集大成になるようにと思っています。今の代表ってスタメン3人が40代なので次の世代に繋げるためにも、ブラインドサッカーを応援したい支援したいと思ってもらわないとブラインドサッカーの灯が消えてしまう。次世代に繋ぐためにも結果を出さないといけないなと。ここがスタートだと思われるような大会になればいいなと思っています。
中村 最後に、ブラインドサッカーをやっていて一番楽しいことは何ですか。
田中 自分でイメージしたプレーが、イメージ通りにサッカーらしいプレーができるとすごく楽しいですね。
中村 田中選手の思うサッカーらしいプレーというのは?
田中 中国みたいに1人でドリブルというのではなくて、きちんとパスを繋げてチームで攻めてチームで点を取るのが、やはりサッカーだと思っています。ワールドグランプリのフランス戦のゴールは、玲がロベルトに落としてサイドチェンジ。パスを受けたトモが粘ってこぼれ球が僕のところに、最後は玲が決めてというように4人が関わってるんですよね。ああいうプレーがたくさん出ると、もっとブラインドサッカーって面白くなるんじゃないかなと思います。もちろん最後決めるところやパスを通すところは個人のスキルがすごく大事ですが、今はどこの国も守備陣形作って守るようになってきているのでなかなか1人じゃ崩せないですし、崩しづらいサッカーになってきているので、ああいう連携をもっと出していけたら良いなと思っています。
東京パラリンピックのブラインドサッカー(5人制サッカー)の試合日程
(聞き手・中村和彦 写真協力・©JBFA/H.Wanibe、内田和稔)