5月8日、神戸総合運動公園で「第29回 全国身体障害者野球大会」が開催された。8チームが神戸に集結し、熱戦が繰り広げられた。
(取材協力:NPO法人日本身体障害者野球連盟)
40年以上続く身体障害者野球
身体障害者野球は、故・岩崎廣司氏が子どものころ病気で左足を切断、入院中に慰問に訪れた阪急ブレーブスの福本豊選手と交流、キャッチボールをしたことがきっかけで、野球選手に憧れ、身体障害者野球チーム「神戸コスモス」を1981年に創設したのが始まりという。
1993年には岩崎氏を初代理事長とした日本身体障害者野球連盟が創設され、現在に至っている。
2020年時点で、29都道府県・37チームが連盟に加盟しており、競技人口は950人以上にのぼる。
全国大会は、5月に神戸市で開催される全国身体障害者野球大会と11月に但馬市で行われる日本選手権大会があり、夏には選手権大会の出場をかけて全国7ブロックで予選が行われる。
2006年に日本からの提案によりアメリカ、韓国、台湾、プエルトリコなどと「世界身体障害者野球大会」を開催している。野球の世界大会であるWBC(World Baseball Classic)の翌年に行われていることから「もう一つのWBC」と呼ばれるなど、国境を超えて広がり始めている。
また、2019年からは身体障害者野球を題材にした小説「4アウト−ある障害者野球チームの挑戦」(著・平山讓)の映画化に向け、実行委員会が立ち上がった。人生3アウトでは終わらないと全国大会での優勝を目指す東京ブルーサンダースの選手や監督の取り組みの実話をベースにした小説の映画化を目指している。
名投手、故・星野仙一氏が生前実現に向け尽力していたということから、その遺志を継ぐべく制作を再開させようとしている。
昨年からコロナ対策を念頭に準備
新型コロナウイルス感染拡大により昨年は大会が中止。今年5月8日、神戸総合運動公園にある「ほっともっとフィールド神戸(旧:グリーンスタジアム神戸)」・「G7スタジアム神戸」で全国大会が2年ぶりに開催された。例年は2日間に分けて行うが1日のみに縮小し、兵庫県のイベント開催方針に基づいて無観客で行われた。
当日は、ガイドラインに沿った感染対策を徹底。選手やスタッフ・報道陣には2週間の検温表を提出し、試合後は都度ベンチの消毒を行った。選手以外はマスク着用必須の上、大会に臨んだ。
本大会の開催は多くの関係者の尽力により実現した。まず連盟は、昨年の中止からコロナ対策を念頭に置いた準備を進めた。
全国の参加チームを安全に迎えるため、提携している宿泊施設とも検討を重ねてきた。例年行う懇親会は自粛。食事はチームごとに時間を指定し、会場も複数設けることで密の防止を図るなど工夫を凝らしていた。
開催に向け奔走した、日本身体障害者野球連盟の田中摩耶子理事はこう語る。
「全国の参加予定チームには随時電話で現地の情報を共有し合いました。
『もしかしたら選手が揃わないかもしれないです』『今年はぜひやりましょう!』各チームそれぞれの意見や地域の状況がありましたので、我々は(神戸に)来ていただけるチームが安全に野球ができるよう準備だけは進めてきました」
しかし、兵庫県では今年に入り1月14日〜2月28日、4月25日から5月末までと2度の緊急事態宣言が発令。これに伴い運営の見直しを余儀なくされた。
宿泊施設は宣言期間中の営業自粛を決めたため、連盟はすぐに球場の使用及び審判団に協力いただけるかを確認した。
球場からは使用許可を得て、審判団は試合時の感染対策方法を共有するなど積極的にサポートした。さらに、今回は一般ボランティアスタッフに依頼できないため人手不足に悩んでいたところ、関西国際大学の硬式野球部と女子プロ野球チームの兵庫ブルーサンダーズが「開催に協力したい」と動いてくれた。それぞれの状況を踏まえ、連盟は開会式・閉会式を自粛した上で縮小開催とすることを決断。各チームの参加については各々の判断を尊重した。
【参加チーム】
・神戸コスモス(兵庫県)
・龍野アルカディア(兵庫県)
・兵庫ブルーサンダーズ(兵庫県)
・京都ビアーフレンズ(京都府)
・京都フルスイングス(京都府)
・阪和ファイターズ(大阪府)
・大阪府ジャガーズ(大阪府)
・名古屋ビクトリー(愛知県)
最終的な参加は近畿地方の6チームと名古屋の1チーム。ただ、京都フルスイングスは選手の数が不足していたため、兵庫ブルーサンダーズに交流戦をオファー。急遽参戦が決まった。
「仲間のために」近畿以外から唯一参戦した名古屋
午前9時、ほっともっとフィールド神戸で「龍野アルカディア-京都ビアーフレンズ」、G7スタジアム神戸で「阪和ファイターズ-大阪ジャガーズ」がプレーボール。甲子園でお馴染みのサイレンがこだました。
選手たちは久々に野球ができる喜びをグラウンドで存分に表現する。
ベンチからも常に打者へ指示を出し、守備でも外野に抜けそうな打球を片足で精一杯追いかける。そこからキャッチしてアウトにした時は相手チームからも「おぉ、ナイスプレー!」と称える声が上がった。
身体障害者野球ではパラリンピック競技のように障害の度合いによるクラス分けがない。身体障害者手帳を所持する肢体不自由者は年齢・性別関係なく登録ができる。
(※現在は聴覚・視覚・内部・言語障害者の登録は不可、療育手帳所持者も1チームの人数制限ありでの対象となる)
義足や車椅子・杖が必要な選手、片手の欠損や麻痺が残る選手などが同じユニフォームを着て共通したルールでプレーする。これが身体障害者野球の特徴の1つである。
また、ルールは健常者の野球と異なるものが一部存在する。
バント・盗塁・振り逃げは禁止。加えて下肢障害の選手に限り、打者の代わりに走る「打者代走制度」がある。
上肢障害で俊足の選手が代走専門で起用されることもあるなど、戦略の1つとして活用されている。このようにお互いの障害をチームで補い合えるのも身体障害者野球の魅力である。
試合はトーナメントで行われ、龍野アルカディアと阪和ファイターズが2回戦進出。それぞれシードで組まれている神戸コスモス・名古屋ビクトリーと対戦した。
本大会の最注目は、近畿地方以外で唯一の参加チームとなった名古屋。
同じ地元の中日ドラゴンズとも交流があり、立浪和義氏・山﨑武司氏らOBとも野球教室などを行っている。1993年の第1回大会から全国大会に出場を続け、伝統チームの1つである。
名古屋は上述の田中理事とのやり取りの中で「絶対に神戸に行きます!」と即答していたという。大会にどうしても参加したい理由があった。
元日本代表でチームのエースである水越大暉投手が本大会後から約3年、チームを離れることが決まっているためである。
両脚に障害のある水越投手は、6月に4カ所ずつにメスを入れる大手術を控えている。昨年の時点では今年4月に手術の予定だったが、5月に全国大会が開かれる方向であること・また自身も昨年満足に投げる機会がなかったことから手術の延期を決断した。
術後のリハビリにも年単位の時間を要することから、チームとしても「水越のためにも出させてください」と連盟に直訴し、今回の参加が決まった。
シードで迎えた2回戦、相手は阪和ファイターズ。名古屋は序盤から打線が爆発し効果的に点を重ねる。14-5で勝利し、決勝に駒を進めた。水越投手はこの試合の先発を務め、勝利投手となった。
名古屋が6度目の挑戦で悲願の初優勝
ほっともっとフィールド神戸での2回戦は、神戸コスモスが龍野アルカディアを10-0(3回コールド)で破り、決勝へ進出。
神戸コスモスは前述の通り、身体障害者野球誕生のルーツとなったチーム。
春の選抜大会優勝18回・秋の選手大会優勝16回という圧倒的な強さを誇る名門である。
前回大会まで3連覇中で、今回は4連覇を目指し決勝へ臨んだ。かつて主将を務め、この試合も3番・左翼でスタメン出場した西原賢勇選手は「ここを目指してやっていますので、まずは開催できて嬉しい。名古屋さんも神戸まで来てくれて感謝です」と語り意気込んだ。
その決勝戦は神戸と名古屋の対決。名古屋はこれまで5回決勝に進出しているが、いずれも準優勝。相手は全て神戸で、その高い壁に阻まれてきた。今回6度目の正直で初優勝を狙う。
決勝戦の舞台はほっともっとフィールド神戸。14:45にプレーボールのサイレンが響き渡った。
試合は3回に動く。名古屋が連打とスキのない走塁で3点を先制。前の試合14点を挙げた打線がここでも力を発揮した。
初戦に引き続き先発した水越投手の好投が光った。阪和戦では勝利投手になったものの中盤に途中降板していた。
初戦ではマウンドに上がった時に「ここでしっかり投げれなかったら手術明けも投げれるのか」不安が頭をよぎりながら投げていたという。「ここまで荒れたのは初めてだったので」と話すほど本調子には遠かった。
実は当初、決勝戦では投げる予定がなかった。ただ、ナインのほぼ全員が「最後、水越にもう一度投げさせてあげてください」と萩巣守正監督に直訴していた。
ナインの想いを受け取った萩巣監督は水越に想いを託した。試合後にその話を聞いたという水越投手も初戦の悔しさもあり「このままでは終われない」と1球1球全力で腕を振った。
120km/hを超えるストレートを武器に100km/h台の変化球を織り混ぜ、神戸打線を翻弄する。4回に初ヒットを許すものの、以降は1本も打たせない完璧なピッチングを披露した。
名古屋は6回に1点を追加し、4−0で迎えた最終回(7回)。水越はこの回もマウンドに上がる。球威は落ちることなく、最後の打者も121km/hのストレートで空振り三振を奪いゲームセット。1安打完封で名古屋に優勝旗をもたらした。
創部30年目、6度目の挑戦で悲願の初優勝となった萩巣監督は「コスモスに勝って優勝できた。このために毎週欠かさず練習してきた。念願です」と試合中の厳しい表情から解放され、満面の笑みを見せた。
惜しくも4連覇を逃した神戸。西原選手は「完全に力負け。名古屋さんの方が力が上でした」と振り返り、「今はチームの転換期。僕ももう一度守備を鍛え直して奪い返したい」と名門の意地を見せることを誓った。
そして2戦2勝で本大会のMVPに輝いた水越投手。試合後は、
「(2試合投げて)本当にきつかったです。でも、ついに優勝することができましたし、手術前という特別な思いもありました。嬉しいの一言です」
と充実した表情で振り返った。今後についても「復帰したら球速アップさせて帰ってきたいです。リハビリを頑張ってまたみんなと野球をやれるようにしたい」と、復帰へのモチベーションを胸に、過酷なリハビリと戦う覚悟を見せた。
2年ぶりの大会は無事に終了。日本身体障害者野球連盟の山内啓一郎理事長は大会を終えて、
「多くの関係者の協力もあり、感染予防の徹底をおこない大会が無事に開催ができて本当によかったです。来年は新型コロナウィルス感染が収束し、16チームによる大会が開催できることを願います」
と安堵の表情を浮かべるとともに、来年への期待を寄せた。
現在も神戸を断念したチームも含め、それぞれの状況と向き合いながら活動を続けている。”来年こそ神戸で” 野球への情熱がある限り、その灯は消える事はない。