取材を終えて、こぼれ話
3月21日に立教大学のプールで鎌田美希の引退レースが行われたあと、3月24日、新型コロナウイルスの感染の影響から東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定された。
ーーこうなってみると、他の同世代の若手トップの選手たちも、延期のなかで自国開催でのパラリンピックに向けて、リセットする時間を得たことになりますね。夢みたパラリンピックへの準備時間がのびたことで、あらためて水泳選手として東京あるいはその先をめざす可能性はありますか?
「わたしは、東京パラリンピックに出たいとか、世界との差を縮めたいということの他に、水泳以外の世界をみてみたいという思いがあります。東京パラリンピックにどうしても出たい、それに向けて今、練習している選手がいると思います。自分は違います」
鎌田は4月からソフトバンク株式会社に就職した。 パラスイマーから会社員に転身した。会社で、今はテコンドーで東京パラをめざすアスリートの太田渉子(元クロスカントリースキー日本代表)と交流を持つようになった。担当業務として、スマホを使って遠隔でプロ選手や元アスリートからレッスンをうけられるサービスの運営サポートに携わっている。
ーー社会人としてどんなことがしたいですか?
「水泳以外の全く知らない世界に飛び込む。勉強して、知らない分野に出会い、世界を知りたい。そのなかでいろんなことをやってみたいと思います。一般の人というか、まず普通の人のように働き、休みの日に遊びに……、ということをやってみたい」
ーーー将来の夢は?
「大学生時代にバイトで小学生への水泳指導をしたことがあって、いずれ、パラスポーツにサポートする側として戻り、小さい子供にスポーツの楽しさとか、きっかけづくりになれるような活動がしたい」
ーーーありがとうございました。
このインタビューは、今年(2020年)3月に鎌田美希が引退レースと決めて予定していた、パラ水泳春季記録会(=東京パラリンピック選考会)が新型コロナウイルス感染対策により中止となり、取材もできなくなったことがきっかけで、4月4日に横浜で行われました。
立教大学で行われた引退レースの取材を考えましたが、コロナ対策で学内への立ち入りも厳しくなっているためかないませんでした。引退レースを鎌田と共に企画した後輩水泳部員の高橋涼さん、パラ水泳連盟の峰村史世監督や大学時代の鎌田の競技を支えたコーチの南雲雄治さんなど、パラスイマー・鎌田美希に関わった皆さまからのお話もお聞きし、ご協力をいただきながら、パラフォトで撮影した大会の写真を探しつつまとめたものです。美希さんの競泳活動のクロージングのワンシーンを切りとり、パラ水泳の歴史のなかに刻んでいただけたら幸いです。
取材の自粛も問われるなかでスタジオあけ撮影を担当してくださった横浜の写真家・森日出夫さんほか、パラスポーツを愛するカメラマン内田和稔さん、山下元気さんの協力でインタビューを実現することができました。ありがとうございました。
<鎌田美希プロフィール>
1997年生・奈良県出身。奈良県立高田高等学校、立教大学卒業。先天性の両ひざ下欠損で小学校3年から競泳を始め、大阪シーホース、立教大水泳部に所属。
2013年アジアユースパラ競技大会にて、100m自由形S8、400m自由形S8、100m平泳ぎSB7で金メダル、100m背泳ぎS8で銀メダル、日本で初めてアジアパラリンピック委員会のベストユースアスリート賞に選ばれる。
2020年9月現在、800m自由形S8のアジア記録と、800m自由形S8、400m自由形S8、100m背泳ぎS8、100m平泳ぎSB7の4つの日本記録を持つ。
2020年3月6日から静岡県で行われるはずだった春季パラ水泳選手権大会(東京パラリンピック選考会)を引退レースと考えていたが、コロナウイルス感染の影響で大会が中止となり、3月21日、所属する立教大学体育会水泳部の仲間たちの見守りのもと大学のプールで泳ぎ、引退。
4月よりソフトバンク株式会社に勤務。