仁川(2014年)のアジアパラから記録を出さなければと焦りが続いた。翌年(2015年)、ふたたびアジア記録を更新するが、同月にも中国の国内大会で7歳年下の選手が鎌田の記録を更新、鎌田はアジア2位となった。
鎌田は2015年3月の春季パラ水泳で行われた選考会落選し、その年のグラスゴー(イギリス)での世界選手権の代表になれなかったが、秋にソチ(ロシア)で開催されたIWAS(国際車いす・切断者スポーツ連盟)の大会へ出場が決まった。
リオ、そして東京。世界を目指す厳しさ
リオへの派遣標準記録をかけた2015年9月、ジャパンパラ水泳競技大会は会場を大阪なみはやドームから東京辰巳国際水泳場に移して行われた。
鎌田は、400m自由形を予選・決勝と自己ベスト更新(5分38秒23/世界ランク18位)、この記録はアジア記録も更新した。しかし、目標にしていたリオへの派遣標準記録を突破することはできなかった。
グラスゴーに出場し2つの金メダルを獲得した視覚障害の木村敬一が、1番乗りでリオへの切符を手にしていた。2008年北京、2012年ロンドンと、パラリンピック2大会を経験した木村は「グラスゴーで金メダルを取ったが、リオで金メダルを狙えるわけではない」と、パラリンピックの難しさを記者たちに語っていた。木村が言うように世界は予測不可能なスピードで成長を遂げようとしていた。
鎌田の400m自由形S8も、これまで女王ジェシカただ独り4分台だったが、2番手、3番手が僅差で控えるようになった。オーストラリアのマディソン・エリオットが女王ジェシカに近づいていたし、ロンドン2012を経て成長したイギリス勢も4分台をマークしていた。
鎌田のアジア記録は5分38秒台、世界ランク9位に相当するが、ここで「アジア記録を更新しても、世界で戦えない」ということが、鎌田にもはっきりと見えはじめていた。
2016年1月から3月まで、リオへの最後の望みをかけて南雲雄治コーチとともに特訓。3月のパラ水泳春季記録会(=代表選考会)での派遣標準記録突破をめざしたが、400m自由形の派遣標準タイム、自己ベスト(=アジア記録)ともに伸ばすことができず、鎌田のリオへの道は途絶えた。
「リオ選考会後は一日中泣きました」
上京し、慣れない環境で緊張した練習も終わり、心身ともに疲れが出たようだ。終わった、と、少しホッとした気分も味わっていたという。
「その後は、単純に400mの練習やレースが嫌になってしまいました。大学1年(2016年)の時のジャパンパラはボロボロでした。一方で、100背泳ぎは自己ベストが予選・決勝共に更新できた。水をつかむ感覚がクロールより背泳ぎの方が上手いってコーチに言われて、それから背泳ぎもありだなって思いました。単純ですよね(笑)。
世界をめざすとは、いかに自分をコントロールして、いかに高められるかだと思います。特にパラリンピックをめざす場合、(世界的にも)ライバルが少ない分『記録』と向き合うことになります。今思うと、自分は貪欲に記録に向き合い取り組めていなかったのかもしれません」
参照
2015年9月5〜6日に開催されたジャパンパラ水泳競技大会の記事
https://www.paraphoto.org/?p=6600
2016年3月 パラ水泳春季記録会(=リオ代表選考会)
https://www.paraphoto.org/?p=7825
2016年ジャパンパラ水泳競技大会(横浜・壮行会)
https://www.paraphoto.org/?p=9211
2016年ジャパンパラ水泳競技大会(初の横浜開催)