大阪なみはやドームを舞台に
ロンドンパラリンピック(2012年)へ向かう頃から、日本のパラスイミングは未来への希望にあふれ熱気があった。舞台は、大阪なみはやドームでのジャパンパラ水泳競技大会や、静岡県富士市での春季パラ水泳競技大会、各地域での日本選手権大会など。
ロンドンのあとはリオ(2016年ブラジル)。その後には東京パラリンピック(2020年)開催を掲げ、パラスイムで優秀な日本代表を育てようと、選手の成長への期待に向けてにぎわっていた。
大阪生まれ、奈良県出身のパラスイマー・鎌田美希は両足の膝から下が欠損して生まれた。子供の頃から水が好きで、競技は小学校3年生から始めた。一ノ瀬メイ、森下友紀、池あいりといったライバルたちとともに女子高生パワーが注目を集めていた。
史上最高といわれるロンドンパラリンピックから1年、2013年9月7日。ブエノスアイレス(アルゼンチン)でのIOC総会で、ついに2020東京オリンピック・パラリンピック開催が決定した。2016年はリオ(ブラジル)が終われば、開催国へ光り輝く4年間が始まる。鎌田ら若いパラスイマーたちも急速な勢いにのって夢に向き合う日々が始まった。
400m自由形S8で世界へ
2013年10月、高揚する気持ちをたずさえて16歳の鎌田はクアラルンプール(マレーシア)でのアジアユースパラゲームズに出場。初の日本代表での海外遠征だった。そこで鎌田は、400m自由形S8でアジア記録(05:44.98/世界ランク13位)を更新、金メダル3、銀メダル1を獲得し同世代の仲間たちをリードしてベストユースアスリート賞に輝やいた。華やかな国際大会デビューとなった。
「400m自由形S8でアジア記録更新」は、翌年(2014年)出場する仁川でのアジアパラでの目標となり、さらにリオパラリンピックへの目標にもなった。
ーークアラルンプールでのアジアユースはどんな気分でしたか。
「メインの400m自由形が1日目で、緊張していたのを今でも覚えています。そこで、自己ベストを更新できた嬉しさと、強化指定選手の標準タイムまでゼロコンマ数秒届かない結果で、悔しさも残った大会でした。(同世代でライバルの一ノ瀬)メイや(池)あいりは既に強化指定選手に入っていて、私もどうしても強化に上がりたい気持ちが強かったです」
ーー鎌田にとって400m自由形の魅力とは?
「400を始めたのは、中学2年の頃で、当時はとにかく泳ぎこむ練習をしていました。(障害により)キックが打てない=スピードが出しにくい、でも、他の人よりも後半までバテにくいのが自分の強みだったので、当時のコーチと400やってみるか! とメイン種目にしました。魅力は、後半に相手をさして追い抜くことができるのがとにかく楽しかったです」
女子400m自由形S8の世界チャンピオンは、鎌田と同じ両足膝下欠損、5歳年上のアメリカのジェシカ・ロングで、2004年アテネパラリンピック初出場以降、王座を譲ったことがない。
鎌田は、2011年エドモントン(カナダ)でのパンパシフィックパラ水泳で初めてジェシカに会い、同じコースで泳いだ。その年の鎌田の世界ランキングは14位(05:52.31)。アジア記録をマークした翌2013年は13位にランクアップしたが、世界で唯一4分台のジェシカとは1分をはるかに超える開きがあった。
「ジェシカは、とにかく格好良い。憧れというか、雲の上って、感じでした!」
参照
2014年アジアパラリンピック委員会ベストユースアスリート賞(日本障がい者スポーツ協会)
https://www.jsad.or.jp/news/detail/20141205_000406.html