関連カテゴリ: AsianParaGames, Tokyo 2020, 千葉, 取材者の視点, 地域, 東京パラムーブメント — 公開: 2018年12月15日 at 2:08 AM — 更新: 2019年8月7日 at 11:52 AM

若者の加入でベテラン選手も初心に――シッティングバレーの伝道者『千葉パイレーツ/ピーナッツ』

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障がいの有無にかかわらず“日本一”を目指して

12月8日、9日、武蔵野総合体育館にて『第22回シッティングバレーボール日本選手権』が開催された。男子、女子、それぞれリングリーグとトーナメントで日本一を争った。

シッティングバレーボールは、床に臀部(=上半身)の一部が常に接触した状態で行うバレーボール。1956年に、傷痍軍人へ向けた競技としてオランダで考案された。競技名の通り、サーブやアタック、ブロック時は、コートから臀部を浮かせたり、持ち上げたりすることができず、レシーブ時は短時間であれば臀部の離床は許されている。

男子優勝の『千葉パイレーツ』。4番・加藤昌彦(写真左)は男子MVPを受賞。
男子優勝の『千葉パイレーツ』。4番・加藤昌彦(写真左)は男子MVPを受賞。

今季は7月にオランダで世界選手権、10月にインドネシア・ジャカルタでアジアパラ競技大会がそれぞれ開催された。

日本代表の成績は前者が男子15位、女子が10位、後者では男子6位、女子3位。今大会は2018年シーズン最後の大会でもある。

国際大会とは異なり、障害の有無にかかわらず出場が可能で、健常者と障がい者の合同チームから健常者のみで形成されたチームなど形態はさまざまだ。 男子は『千葉パイレーツ』が3連覇。女子は『東京プラネッツ女組 黒』が連覇を達成した。

女子優勝の『千葉パイレーツ』。16番・波田みかは女子MVPを受賞。
女子優勝の『東京プラネッツ 女組・黒』。16番・波田みかは女子MVPを受賞。
『千葉パイレーツ』では『春の高校バレー(全日本高校選手権)』に出場経験を持つ田澤隼も活躍
『千葉パイレーツ』では『春の高校バレー(全日本高校選手権)』に出場経験を持つ1番・田澤隼も活躍

競技発展とともに歩んできた“千葉チーム”

今大会で注目したのは「千葉チーム」である。

『千葉パイレーツ』と『千葉ピーナッツ』に分かれ、それぞれ男女2チーム、計4チームが出場。普段は千葉県千葉市の『千葉県障害者スポーツ・レクリエーションセンター』を拠点とし、合同トレーニングは月1回〜2回。メンバーは約40名と大所帯である。今回の日本選手権ではパイレーツ(男子)が優勝、ピーナッツ(女子)が3位という成績を収めた。

第1回日本選手権の開催が1997年。千葉チームの設立が96年。当時からチームの代表を務める佐藤詠さん(左脚下腿切断)は2000年のシドニーパラリンピックの日本代表キャプテンでもある。チームメイトの現日本代表、加藤昌彦(左脚切断)も当時からともにプレーしていた。

佐藤さんは千葉チームの設立をこう振り返る。 「元々は、パラ水泳やパラ陸上から選手を集めて、(96年の)アトランタ・パラリンピックを目指していたのですが、出場権を獲れませんでした。もっと強化しないといけないねと、日本代表選手が各県に散らばって、チームを立ち上げていったのです。その中の一つが千葉チームでした」

総監督兼選手の小澤広美さんは、設立の翌年(97年)に加入。バレーボール経験者であったが、職場にチェアスキーの選手がおり、競技ボランティアに行った先で「バレーをやっているなら“シッティング”もどうか」と勧められたという。

「まず東京のチームの練習会に参加しました。職場が千葉県だったので、その後千葉チームに入って。最初は男女混合で1チーム作るのがやっとでした」

『千葉チーム』の代表・佐藤詠さん(左)と総監督の小澤広美さん
『千葉チーム』の代表・佐藤詠さん(左)と総監督の小澤広美さん

日本選手権自体も、第1回(97年)から第4回(00年)までは男女混合で開催されていた。

代表選手が各県に散らばり、チームを立ち上げる――。64年の東京パラリンピック・車いすバスケットボールにおいても、同様の経緯をたどったと聞く。チームの歴史は、国内のシッティングバレーボールの発展とともにあると言える。

「俯瞰して見ると地味な競技かもしれませんが、(座っている分)目線が床と近いので、実際にコートでプレーすると物凄いスピード感です。脚に障がいがある人とない人で平等にプレーができることと、ゲーム性の面白さ。それが魅力じゃないかな」と佐藤さんは言う。

72歳のバレーボーラーは生涯現役

国内でも随一、40人ものメンバーが所属するだけあり、選手の顔ぶれもさまざま。下は17歳から上は72歳、元実業団選手も含め、障がいの有無にかかわらず幅広い年齢層のメンバーが所属する。日本代表選手は世界選手権、アジアパラ競技大会にも出場した男子の田澤隼と前述の加藤が在籍している。

『レディースピーナッツ』の選手として出場した吉田惠子さんは9日の準決勝後「いつもはもっと美声なんですけど(笑)」と声を枯らしながら話してくれた。72歳。「チーム内はもちろん、出場全選手の中で最高齢だと思う」と恥ずかしそうに話した。チームは準決勝で敗退したものの、3位決定戦で『埼玉レッドビーズヴィーナス』に勝利した。

吉田さんがシッティングバレーボールを始めたのは20年前。「ママさんバレー」で右膝の半月板損傷と靭帯断裂の怪我を負ったことがきっかけだった。リハビリの際に理学療法士から勧められ「座ってできてジャンプもしなくて良いから」と始め、日本選手権にも第2回から出場している。

吉田惠子さん。今大会は1年ぶりの復帰戦だった
吉田惠子さん。今大会は1年ぶりの復帰戦だった

シッティングバレーボールの練習に初めて行った時は驚きもあったという。

「紹介されて王子にある体育館に観に行ったら、床や壁に義足がいくつも置かれていて、びっくりしました。そんな光景見たことなかったから。“病気や怪我を乗り越えて、すごいな”と。でも実際にプレーして、その見方も変わりました。座ってしまえば一緒ですもん。それに、かなりハード。前後左右、腕力で移動するし、サーブも座ってやるから凄く背筋を使う。でも、座ってやるから続けられる。立位のバレーなら、こんな歳までできなかったです」

3年前に右膝に人工関節を入れた。「年齢も年齢だから不整脈も出て」と昨年は1年間休養し、今大会が復帰戦だったという。ブランクを感じさせない溌剌(はつらつ)としたプレーで、チームの3位に貢献した。

「シッティングバレーは“障がい者スポーツ”という言うけれど“生涯スポーツ”でもあると思う」と吉田さんは言う。

「チームの皆と顔を合わせるのが楽しみ。一緒にプレーをするだけで元気をいっぱい分けてもらえるのが嬉しいです」と笑った。

吉田惠子さん。若いメンバーからも刺激を受けているという
若いメンバーからも刺激を受けているという

元実業団選手は選手兼“鬼コーチ”

健常者の選手として千葉チームでプレーする加藤朱美さんは、元実業団選手であり、日本リーグ(当時)の『イトーヨーカドープリオール』(2001年に廃部)に所属していた。

第一線を退いた後に、子ども向けのバレーボール教室に講師として参加していた折、当時の上司からシッティングバレーボールの存在を知り、埼玉のチームでボランティアを始めたのがきっかけだった。

日本選手権も第1回から出場している。初めてプレーした時は、「立位のバレーとはまったく違って、もどかしさを感じた」という。

「ボールが来て、アッと思っても、取れない腹立たしさ……。でも動きを覚えていくにつれて楽しくなっていきました。工夫している部分は、トスを高くあげてつなぐ、ということ。プレーがつながれば、チームメイトも盛り上がります」

加藤朱美さん。元実業団選手としてメンバーを鼓舞した
加藤朱美さん。元実業団選手としてメンバーを鼓舞した

男子日本代表の加藤(昌)とは夫婦でもある。結婚を機に、夫の所属する千葉チームに加入した。

現在は選手兼サポート。この日は『千葉レディースピーナッツ』で3位決定戦までプレーした後、男子のもう1チーム『千葉ピーナッツ』をベンチからサポートしていた。4チームが出場しているため、各選手、自身の試合がない時はチームメイトのベンチスタッフとして入ったり、コートサイドで声援を送る。大所帯の千葉チームの良さでもある。

男子決勝を戦う『パイレーツ』に声援を送るメンバーたち
男子決勝を戦う『パイレーツ』に声援を送るメンバーたち

「主人の競技サポートもしますよ」と朱美さんは付け加えた。

「うるさく言ってます。プレーを見ながらフィードバックしたり、一緒に練習したり。本人にとってはかなり厳しいみたいですが。(夫の)プレーの良いところですか? “粘り”ですかね。粘り続けることでチームの雰囲気も高揚する。そして決める時には、決める。あまり褒めるといい気になっちゃうから、言わないでくださいね(笑)」

選手としてだけでなくサポートスタッフとしてチームを支える
選手としてだけでなくサポートスタッフとしてチームを支える

2020は地元が会場。自治体との競技普及に成果も

2020年の東京パラリンピックでは、千葉県の『幕張メッセ』がシッティングバレーボールの会場に決定している。そのため、地元チームである千葉チームは市や県の協力を受けながら、シッティングバレーボールの講習会や講演会を頻繁に開催している。

「ウチは観に来てくれた人にはまずプレーしてもらっています」と朱美さんが言うように、体験会がきっかけで競技を始める人も増えてきた。

「最近入った子では、高校生の女の子がいます。両足切断で、元々は陸上をやっていたんですけど、主人が義足を作っている義肢製作所でシッティングを知ったようです。『チームスポーツがやってみたい』とやり始めて、のめり込んでますよ」

加藤(昌)いわく、千葉チームのメンバーも「この1年間で10人ほど増えた」という。

「今までは、長いことプレーしてきたメンバーでやってきたので、練習がおざなりになっている部分もありました。新しいメンバーが増えたことで、初心に戻って練習するようになってきた結果が今の成績(男子3連覇・女子3位)にもつながっているかもしれません。(競技歴の浅い選手に) “教える楽しさ”も改めて感じるようになっています。“1”を伝えて“2”になり“3”になる、という成長の過程も見えて、教えがいがありますね。自分自身も来年で50歳。自分の歳で死に物狂いでやっている選手を若いメンバーが見て、負けられない、と思ってくれれば本望です」

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※出典:一般社団法人日本パラバレーボール協会ホームページ
※文中・一部敬称略 (取材・文・写真/吉田直人 編集・校正 金子修平)
※12月15日、記事を一部修正致しました。

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