10月12日、インドネシア2018アジアパラ競技大会・水泳競技は最終日を迎えた。選手たちの疲労が増す中で力を振りきる後半のレースが展開された。5日間ののち日本チームは金メダル23個、銀メダル28個、銅メダル29個、合計80個のメダルを獲得し、金メダル数では中国に次ぐ2位。合計メダル数では水泳参加国中トップ。
鈴木が50m平泳ぎで好タイム!
日本選手団の主将、そして水泳チーム・キャプテンでもある鈴木孝幸(四肢欠損/GOLDWIN)は、最終日の50m平泳ぎSB3(1-3コンバインド)で10年前の北京パラリンピック(2008年)で打ち出した自身の世界記録(48.98)に近づく好タイム(48秒87)で大会記録を更新した。
「2020年に向けてすることはタイムをあげることのみだが、ここがゴールではないと思っている。リオ後のトレーニングの成果が形になっているものの現状では世界で金をとるのは難しい」と、試合後に感想を話してくれた。練習方法への手応えを感じていることに加え、終盤の疲れの中で記録を出せたことに自信を覚えていた。
また鈴木は、「文化がちがうところでレースするということは、多かれ少なかれリズムにそぐわないものがある。事前にいろんな情報をもらえて対処できたこともあるし、こちらに来てから対応したこともある、そういうものだと思います。雰囲気のいい、集中しやすい大会だった」と選手村での生活について話していた。
東京でのパラリンピックが引き金になり、アジアの国々で行われる障害者のスポーツが盛り上がることを願う。これから先も滞在先の気候や社会に触れながら、選手として耐性を作っていかなくてはならないだろう。まさにそれはアスリートならではの闘いというものかもしれない。
2020東京へのライバル戦その1・木村と富田
一方、エース・木村敬一(全盲/東京ガス)は、前半の競技ではスタートに失敗もあり納得のいく泳ぎができなかったという。
「スタートには自信があったが前半はその自信のために集中していなかった。後半ではスタートの瞬間に集中できるよう意識できたことは収穫となった」とレース中に課題を見つけ素早く解決できたことを振り返った。木村敬一の今大会一番の感想は、会場の声援の素晴らしさだった。
「インドネシアのS9で英雄的な選手がいましたね、彼が泳ぐ時の地元の観客のすごい声援。東京では彼のような存在になりたい!と思いました」と木村は話していた。
一方、木村のライバルとして新たに注目を集めた富田宇宙(全盲/日体大大学院)は次のように話した。
「コンバインドになりメダルを逃すレースもあったが、それ以外の3つで自己ベスト、日本記録、大会新記録と東京2020につながる大きな舞台でベストを更新することができた」と試合結果に満足していた。
今回、大規模なクラス分けの影響や、参加人数の少ないクラスがコンバインドされることがあった。その場合WPSのマルチシステムを導入するという話もあったがそうならず、最終的に異なるクラスでの着順となった。それにより逃した金メダルは富田だけで3枚もあった。
その一方で、北京パラリンピックメダリストの小山恭輔など、出場したがコンバインドレースの不利、さらに得意な泳法の見直しによりメダル1枚にも届かなかった選手、加藤作子など出場できなかった選手もいた。
2020東京へのライバル戦その2・東海林と中島
世界への挑戦を日本から持ち込んだ知的障害の二人、東海林大(三菱商事)と中島啓智(あいおい日ニッセイ同和損保保険)の200m個人メドレーは、今回も世界記録をもつ東海林が勝利した。この戦いはすでに東京を見据えていると言えるレースだった。
最終日の50m自由形S9のレースで、久保大樹(両手足機能障害/KBSクボタ)が日本のベテラン山田拓朗(左前腕欠損/NTTドコモ)と50m自由形S9で同じレースを泳ぎ、山田は1位、久保は3位だった。久保はギランバレー症候群という病気で大学までやってオリンピックを目指していた水泳を退いた。6年前にジャパンパラ水泳競技大会で、自分より障害の重い選手もいるのをみて競泳の世界に復帰。パラ水泳で初の国際レースだった。6日には100mバタフライを1:05.40で泳いで金メダルを獲得した。世界と戦うためにはこれからだが「スタートラインにきた」と峰村史世日本代表監督は解団式の日のインタビューで久保について話していた。
日本水泳チームは4年前(仁川2014)のメダル数を上回り、目標はクリアできた。しかし、今回トップ選手のみでない中国チームには水をあけられている。これから2020に向けて、さらに高いところに降る強い雨に立ち向かわなくてはいけないだろう。
水泳会場は、インドネシア代表選手を応援する地元の観客が日に日に増えていき、大にぎわいとなった。自国選手の泳ぎにとりわけ大きな応援の声が沸き起こったが、連日多くの人々が試合メダルセレモニーを見るために通ってい決勝のレースで他国選手にも声援を送っていた。日本代表をサポートするインドネシア人ボランティアも真面目でフレンドリーな女性だった。選手、スタッフの大きな感謝につつまれた日々が終わった。
(校正 望月芳子 取材機材提供・ニコンイメージングジャパン)