「この時を心待ちにしていました!」日本代表の選手たちがそう口にする。
9月8日、「北九州 2018 ワールドパラパワーリフティング アジア-オセアニア オープン選手権大会」が北九州市の北九州芸術劇場で開幕した。
開幕に先立って6日に行われた記者会見では、ロンドンとリオの金メダリストで310㎏の世界記録保持者のラーマン・シアマンド(男子107㎏超級/イラン)、リオの金メダリストで183.5㎏の男子最軽量級世界記録保持者、ル・バン・コン(男子49㎏級/ベトナム)、日本からは三浦浩(男子49㎏級/東京ビッグサイト)、マクドナルド山本恵理(女子55㎏級/日本財団パラリンピックサポートセンター)の4選手が出席。
会見で三浦は、「競技をやってきて14年、日本での国際大会を心待ちにしていた。日本代表全員が活躍できる場なので全力を尽くして戦う」と宣言。
山本は「まだまだ2020年パラリンピックは”東京のもの”になってしまっていると肌感覚で感じる。東京だけではなく日本全体のものにあるように、この大会を第一歩としてまずはたくさんの方に見に来ていただきたい」と語った。
また、ル・バン・コンは北九州について「この地に来るのは長い間の夢で、叶った。とても美しくてクリーンでグリーン。緑豊かな街」と印象を語った。現在30歳のラーマンは「16歳で競技を始めたが、金メダルにたどり着くまでは時間がかかった。最初は難しいかもしれないが、積み重ねていけば必ずいつか手が届く」と、日本のパラパワーリフターたちにエールを送っていた。
大会開催の経緯
もともとパラ・パワーリフティングは吉田進理事長夫妻が自宅に連盟を構え、選手人口20名ほどの小さな競技だった。5年前に2020年パラリンピックの開催地が東京に決定したことをきっかけに、ホスト国として力をつけようと、アジア規模の開催をIPCに提案したところから始まった。IPCからの助言でオセアニア地域の選手も呼ぶことが決まり、さらに「オープン選手権」にすることで、世界各国の選手たちもエントリーすれば参加可能。世界選手権に次ぐ規模となった。
今大会は、東京パラリンピックに出場するための条件として、参加必須となっている。
また、会場を体育館ではなく劇場にしたことも特徴の1つで、東京パラリンピックの会場も東京国際フォーラムが予定されている。音響・照明・映像を駆使して盛り上げられる、一瞬にかける選手たちのプレーに注目だ。
世界新記録更新! しかし・・・
開幕初日の8日、一番盛り上がりを見せたのが女子45㎏級。グオ・リンリン(中国)が自身の持つ世界記録(110㎏)を更新した瞬間だった。
2回目の試技で111㎏を上げると、3回目で113㎏。4回目の特別試技で114㎏に成功。
グオがステージに一礼をすると、会場に大きな歓声と拍手が響き渡った。
だが、しかし。彼女の喜びの声を、きちんと私たちは聞くことができなかった。通訳が会場にいなかったのだ。
日本語も英語も通じないグオ。慌てるメディアに、困惑するグオ。
なんとか引き出せた会話は、「Happy?」「Yes!」。今度はノートに「日本 、初?」と書いてみると「Yes!」と答えてくれた。
英語を母国語としない選手が世界にたくさんいる中、「通訳者の不足」がパラ競技界でささやかれている。(が、今思えば、中国語の質問を紙に用意しておきインタビューの録音を持ち帰り、中国語のできるパラフォトのスタッフに訳してもらえればよかった。取材の反省点。)
アジアパラに向けて、日本代表たちは
男子49㎏級では、記者会見に出席した三浦が登場。結果は116㎏で7位だった。
「アジアパラで日本記録を出すためにメニューを組んでいるので今日は116㎏から126㎏を挙げられればいいなと思っていたが、1本しか取れずふがいない。コンサートの裏方の仕事をずっとやってきたので、ステージのメインになるのは競技者としても、普及する側としても、楽しませてもらった」と笑顔で振り返った。
男子54㎏級には、西崎哲男(乃村工藝社)が登場。2回目で132㎏に成功すると、3回目は8㎏も重量を上げて140㎏に挑戦。しかし失敗に終わり、6位だった。
「このところトレーニングがうまくいっていたので、140㎏を挙げられる自信はあった。今大会は失敗理由を教えてもらえるシステムになっているが、挙上時のバーコントロールが理由とのことだった。右腕が下がる癖があるので修正したい。今回はパラランキングに反映されるので重さにこだわっていたが、アジアパラでは順位にこだわって戦いたい」と今後に向けて抱負を語っていた。
大会は12日までの日程で行われ、男子10階級、女子10階級の合わせて20階級で選手たちがメダルを争う。
(校正・佐々木延江)