3月28日、日立ソリューションズ(東京都・佐久間嘉一郎社長)で、ソチパラリンピックに出場したスキー部選手の報告会が行なわれ、2013-14年シーズンは、ソチパラリンピック・バイアスロン・ショート(男子座位・7.5km)で久保恒造が銅メダルを獲得し、他3人の選手全員が入賞したと報告した。今年はスカパーで競技解説をつとめた元日本代表・長田弘幸がチームを先導、オレンジのはっぴを着た同社社員、地元関係者などが集まり、スティックバルーンを叩きながら選手を迎えた。
ソチ競技初日、日本チーム初のメダルをもたらした久保恒造は「思い返せば18歳で受傷して以来、パラリンピックでのメダルを目指してきた。バンクーバーでは報告会で悔しく泣いた記憶から、今回は実現できたことが嬉しい。次に進むことができる」と語った。
久保はソチを最後にスキー競技とは決別し、同社に新設される陸上部で車椅子陸上に専念したトレーニングを始める。「ソチは、競技者としての通過点であり、新たなスタートでもある」と述べた。
日本選手団旗手をつとめた太田渉子は、帰国後、髪を切った。集大成とした臨んだソチでは、バイアスロンショート6位入賞に留まった。「射撃で満射しても走力でロシアの選手に及びませんでした」と語る。一方で「スキーをやっていてよかったと思った。6位入賞は育ててくれた人、応援してくれた人のおかげ。新たに精進したい」と今後への決意を見せた。
長野パラリンピックから5大会を闘い、荒井監督とともに日本の障害者クロスカントリーを背負う新田佳浩は、得意のクラシカル・ロングで4位入賞、メダルを逃した。ソチの解団式で新田は「日本クロカンチームはこのままではダメだ。自分が選手として高い壁になって、後輩を育てていく」と言ってくれた。そして、この報告会で、「悔しいだけの大会だったが、後悔はない。2018年ピョンチャン(平昌・韓国)に向けて、あらためて、プロのスタッフをいれて3シーズンごとに挑戦を変えて取り組む。3回失敗できることになりますね(笑)。最後には、ピョンチャンで勝てるものにつなげていきます」と、さらに具体的になった気持ちをあきらかにし伝えてくれた。
また、ソチパラリンピックは、阿部友里香など3人の高校生がチームに加わる嬉しい大会でもあった。
阿部は2日前に遅れて高校の卒業式を迎え、公欠で皆勤賞ももらったという。「15kmのレースは、15℃と気温が上がった暑い中で集中し、8位入賞できた。自分の力をだせた。後半ではペース配分が課題であることに気づいた」とデビュー戦の感想を話してくれた。4月より大東文化大学への入学、同行スキー部への入部も決まっている。
荒井秀樹日本代表監督は、ソチでの選手一人ひとりのエピソードを紹介。スキー部設立10年になり、初心を思い出し、ピョンチャンを目標に、ゼロからスタートする想いを語った 。「スキーやワックスやトレーニングを世界に負けないものにします」と語った。また、「チーム新田」「チーム久保」とともに、2016年リオ、2018年ピョンチャン、そして2020年東京と、社内だけでなく地域の人々とともに向かっていきたい」と、ソチまで応援に駆けつけた日立ソリューションズ社員や、駅前商店街の横断幕や選手の名前のバナーなどを掲げた応援への深い感謝を伝えた。
日立ソリューションズでの障害者スポーツの活動は10年になる。佐久間社長は、ソチに向けエー・アイ・ディーと開発したタイムランチャーがメダル獲得に貢献したこと、スキー部に加え、4月に陸上部をもうけ、東京2010を視野にいれたあらたな時代を築こうとしていることを伝えた。江角後援会委員長も同社社員にむけて「障害者スポーツの裾野を広げていきたい」と、社員へスキー部後援会への入会を呼びかけた。
来賓として招かれていた、久保選手の出身地・北海道美幌町の染谷副町長は、「久保選手は町の英雄、町民の支えになっている」と、オホーツク地域のスポーツ文化への地元理解の深さを紹介した。
2015年には、旭川に日本で初めてIPCクロスカントリースキーのワールドカップがやってくる!ソチが終わると同時に、チームは新たなシーズンにむけスタートした。
また、2018年・ピョンチャンでのパラリンピックをめざすジュニア選手たち6人によるブログ「ピョンちゃんプログ」が今年2月より始まっている。