彼も星空の下、見守っていたに違いない。10日間に渡って開催された平昌冬季パラリンピックのフィナーレを飾る閉会式。天才科学者、スティーブン・ホーキング博士が競技期間中の3月14日に亡くなり、平昌オリンピックスタジアムは哀悼と感動の空気に包まれた。
平昌パラリンピックは、韓国にとって1988年のソウル大会以来30年ぶりに開かれたパラリンピックで、冬季としては初開催であった。山岳と海が広がる自然豊かな平昌・江陵を舞台に、3月9日から18日までの10日間、6競技・80種目が行われ、過去最多の49ヶ国と地域から567人の選手が参加した。
韓国はパラリンピックと縁が深い。前述のソウル大会から「パラリンピック」の正式名称が使われ、現在大会を統括する国際パラリンピック委員会(IPC)が初めて関わった。ソウル大会を経て、ふたたび「近代パラリンピック発祥の地」に聖火が灯った。
韓国の伝統民謡「アリラン」の演奏とともに、民族衣装を着たダンサーが登場、会場を華やかに彩る。つづいて行われた「Entry of nations’ flags」では、参加国すべての国旗が座席のプロジェクションマッピングに映し出され、ステージ上に各国の旗手が登場した。日本選手団旗手の村岡桃佳選手も旗を掲げる中、過去最多の参加国の国旗がステージを埋め尽くした。
エンターテインメントプログラム「We Move the World」では、真っ白なドレスに身を包んだダンサーが登場し、バイオリンの演奏とともに美しく踊りあげたほか、盲目の女性ピア二ストと男性シンガーが透き通った歌声・音色を奏で、華やかな冬季競技を思い起こさせた。
その後登場した6つの競技をイメージした花のモニュメントは、冬から春へ、それぞれの競技が色鮮やかに花開いたことを告げた。
そして、ある人物のメッセージが紹介された。ホーキング博士が亡くなったという一報が期間中に駆け巡り、世界中に悲しみの声が広がった。ホーキング博士は20代の頃にALS(筋萎縮性側策硬化症)を発症。次第に筋肉が衰える難病と闘いながら学術の道に進み、著書「ホーキング、宇宙を語る」は全世界で1000万部を超えるベストセラーとなった。
今回の閉会式で、IPC会長のアンドリュー・パーソンズは彼についてこう述べた。
「夢を持っていたのは、故スティーブン・ホーキング教授でした。2012年のロンドンパラリンピック開会式で、ホーキング氏は私たち一人一人が異なっていること、スタンダードというものは存在しないことを指摘し、私たち全員に、『足元ではなく、星を見なさい』と言いました。 そしてこの10日間、星は平昌にきらきらと輝いています」と。
またホーキング博士はテレビのインタビューで、
「あなたが何か問題に直面した時、足元を見ずに星を見上げてみてください。何事にもベストを尽くしなさい。どんな状況であっても、決して諦めてはいけない」と遺していた。パーソンズはこの言葉とともに彼を追悼し、平昌大会での数多くのアスリートが自分の限界を越え、世界に新たな可能性を示したことを称えた。
平昌の夜空に閉幕を告げる花火が打ち上げられ、アスリートたちの10日間に渡る熱い冬の戦いが幕を下ろした。パラリンピックの夢と感動は、次の開催地・北京へと受け継がれた。
(校正・佐々木延江)