競技7日目の14日、バイアスロン男女ロングが行われ、男子15㎞座位で久保恒造は初日のショート7.5㎞の銅メダルにつづくメダル獲得が期待されたが、6位入賞に終わった。それでも久保は、「自分の100%のレースができたので、悔いはない。むしろ清々しい気持ち」。レース後、ふっきれたような笑顔を見せた。
久保は今大会を「スキーヤーとしてのひと区切り」と位置付けて臨んでいた。だから、どのレースも「やってきたことをすべて出す」と決めていた。初日のバイアスロンのショートで銅メダルを獲得できたことは大きな達成感だった。
そして迎えたバイアスロン競技としては最後のレースが14日のロングだった。「自分のすべてをぶつけよう」。ありったけの力を込めて、スキーを滑らせた。だが、序盤からロシア勢に離された。
ロング種目は射撃で1発ミスをするとペナルティとして実走タイムに1分間が加算されるが、久保は磨いてきた技術でこの日も危なげなく20発すべてを射抜き、6位に滑り込んだ。
メダル争いには絡めなかったが、久保は納得していた。実はこれまでのワールドカップの連戦を通して、ロシア勢の圧倒的な強さを見せつけられ、公言していた金メダル獲得はおろか、表彰台すら難しいことは分かっていた。「自分がパーフェクトな状態でパーフェクトなレースをして、ようやく戦える存在がロシアだった。だから、銅メダル一つでも獲れたことは、『自分の中で最高のでき』と思える」とレース後に久保は振り返った。
久保は4年前、バンクーバー大会でパラリンピック初出場を果たしたが、「メダル確実」という期待を背負いながらも、「ロシア勢に完敗、6位入賞止まり」。奇しくも今大会と全く同じ結果に、当時の久保は、「ただ悔しい」と涙に暮れた。
その悔しさをバネにこの4年間、「打倒ロシア」の思いを一日も忘れることなく、自分をいじめ、鍛え、磨いてきた。「精一杯やることはやってきた」と胸を張って言える濃密な4年間を経てきたからこそ、見た目上は全く同じ結果にも、「満足。4年前の悔しさは、しっかり晴らせた。やりきった」と清々しい笑顔になれるのだろう。
久保は今大会を最後にスキー競技からは退き、陸上競技に専念することを決めている。次に追いかけるのは「車いすマラソンでパラリンピック出場」だ。実現すれば、日本男子初の、「パラリンピック夏冬出場」の快挙になる。
「僕の競技人生はまだ途中。ソチで銅メダルを獲得できたことで、次のステップに自信をもって向かっていける」
そんな久保の挑戦を、写真家として2000年からパラリンピックを追いかけ、2004年からはファインダーを通して久保を見つづけてきた越智貴雄はこう話す。
「ソチでの久保は力強い滑りで、とにかく迫力があった。そして、バンクーバーから4年間の、血のにじむような彼の努力を、ファインダーを通して感じることができた。このソチ大会は、久保というアスリートにとっての通過点。これからの久保選手の活躍がますます楽しみになった」
『アスリート久保恒造の物語』は、第1章を最高の形で締めくくり、第2章がはじまった。いったいどんな活躍でページを埋めてくれるのか。久保恒造の挑戦はまだつづく。
(文:星野恭子)