横浜から世界へ。知的女子が加わったパラ日本代表チーム! 〜第20回日本知的障害者選手権・水泳大会〜(2)
パラリンピック水泳日本代表チームの一翼をになう「知的障害クラス」の水泳。その本拠地・横浜国際プール(横浜市都筑区)で、今年20回目を迎える「日本知的障害者選手権・水泳大会」が開催された。
6月11日に行われ、リオパラリンピック銅メダリスト津川拓也(ANAウィングフェローズ・ヴイ王子)が世界新をマークしたほか、アジア新1、日本新7、大会新22と、今年も多くの記録が更新された。急成長する知的障害水泳のトップ選手たちの次の国際舞台は、9月のメキシコシティだ。
女子選手が加わった、知的障害パラ・ジャパンの顔ぶれ
ロンドンパラリンピック(2012年)で、知的障害の種目が正式に復活(注)すると、水泳日本代表からは待っていたかのように、田中康大が100メートル平泳ぎで世界新記録を樹立、金メダルを勝ちとった。その後、昨年リオパラリンピック(ブラジル)までは、パラリンピック水泳に知的障害は男子のみだった。
男子が、パラリンピック、世界選手権、アジアパラリンピックと経験する様子を見て、女子にも道筋が見え、いま、本格的にパラリンピック初出場を目指す女子選手が現れている。
今年3月、富士市(静岡)で行われた次のIPC水泳世界選手権(9月・メキシコシティ)の派遣標準記録を突破し、トビウオパラジャパンに知的からははじめて3名の女子選手が加わった。横浜では、彼女らの実力を証明する、堂々とした泳ぎが見られた。
奈良県の北野安美紗(ルネサンス登美ヶ丘)は、100、200、400メートル自由形、100メートル平泳ぎ、200メートル個人メドレーで日本記録を持っている。今大会出場したずべての種目で1位、100メートル平泳ぎで日本新記録、200、400メートル自由形で大会新記録を更新した。
「(200メートル自由形の)目標は2分20秒だったので、悔しい」とレース後に話す北野は、3月の静岡でパラ世界選手権標準記録を突破し、クラスが認定されれば、パラリンピック世界選手権内定選手となることが決まっている。
同じく3月の静岡で、パラ日本代表入りが内定している地元・横浜の木下萌実(宮前ドルフィン)は、50、100、200のバタフライで日本記録を持ち、200メートルバタフライで自身の記録を2秒縮め2分54秒31で日本記録を更新した。 ちなみに、木下の日本記録はIPC世界ランク2位だが、トップはオランダ人の2歳下の選手。記録のエントリーそのものがこの2名のみであり、世界において、知的障害とくに女子の分野の未知数を物語っている。
また今回日本代表には選考されなかったが、滋賀県の福井香澄(滋賀友泳会)も注目である。50メートル自由形と100メートル背泳ぎで日本新記録を持つ福井は、50メートル背泳ぎで3つ目の日本記録を持つことになった。
盛り上がる、パラリンピックへの挑戦!
今大会で強さを見せたのは、やはり、リオパラリンピック銅メダル組の津川拓也と中島啓智った。千葉県出身で18歳になる中島(あいおいニッセイ同和損保)は、50、100、400メートルの自由形と50、100メートルのバタフライで日本記録をもっている。この日、50メートルバタフライで自身の日本新記録を更新した。今年から7名のパラアスリートを雇用してパラリンピックへの競技活動を支援するあいおいニッセイ同和損保の社員となり、新たな環境でスタートしている。
「リオのベストタイムとほぼ同じタイムで泳ぐことができています。今年から、会社に入り、社員の中には水泳の仲間4人がいます。ともに戦いたい」と話す中島は、自由形に主眼をおき、練習に励んでいる。
その中島に勝負を挑むのは、同じ年の山形県出身の東海林大(ベル宮町)。昨年の富士記録会では選考されず、リオを逃した。今年3月の富士水泳記録会で、ついにパラ世界選手権への内定を獲得した。200メートルの自由形と個人メドレーで日本記録を持っている。今大会両種目で大会記録を更新したほか、100メートル平泳ぎでロンドンパラリンピック金メダルの田中康大に競り勝って優勝した。
「競ったら、負けない!」と自信を見せた、東海林。
中島啓智も「東海林選手は、ライバルな存在」と話していた。
200メートルの自由形と個人メドレーでは、ベストではなかったが大会新。スタートからのスピードアップに課題があったという。最後に泳いだ100メートル平泳ぎでは、課題の反省を生かし、スタートからスピードをあげて最後まで泳ぎきることができたという。
中島同様に、今年から所属を変え、山形県の強化指定選手にもなり、パラリンピックへの道を歩み始めた。
パラ水泳世界選手権大会・日本代表選手
東海林大、中島啓智、津川拓也、木下萌実、宮崎哲、鴨弘之、出口瑛瑚、三好将典
坂倉航季、北野安美紗、加古敏矢、井上舞美
男子9名 女子3名 計12名(国際クラス取得後に内定が決まっている選手を含む)
(注)
知的障害のスポーツは、冬は長野(1998年)、夏はシドニー(2000年)でパラリンピック正式種目になった。そのシドニーでのバスケットボールで、複数の国のチームが健常者を入れメダル獲得を策略した事件「健常者替え玉事件」が発覚。フェアプレーに反する出来事を重く受けとめたIPC国際パラリンピック委員会が、シドニー以降、知的障害の全種目を出場停止とした。
これはINAS-FID(国際知的障害スポーツ連盟)への制裁で、期限は、選手資格のための仕組み整備が終わるまで無期限となっていたが、ロンドンパラリンピック(2012年)で水泳・陸上・卓球が正式に復帰した。