2016ー2017シーズン最終戦となる石屋製菓IPCノルディックスキーワールドカップ札幌大会が、札幌市の西岡バイアスロン競技場にて3月18日から5日間の日程で開催され、クロスカントリースキーとバイアスロンの競技が行われた。 昨年12月フィンランドのボカッティで開幕したワールドカップは、平昌パラリンピック・プレ大会を経て3月22日札幌で閉幕した。
22日夕刻、札幌駅の地下歩行広場で表彰式が行われ、立位、座位、視覚障害の3つのカテゴリーの男女シーズン総合3位までが表彰された。
もっとも過酷なスポーツと言われるシッティング(座位)クラスのクロスカントリースキーと射撃を組み合わせた競技バイアスロンでは、ドイツのマーティン・フレーグが頂点に立った。フレーグは、今年2月に世界選手権が開催されたドイツの町フィンステラウ出身で、ホームスノーでの優勝も果たしている。
日本代表チームはベテラン・若手12名が出場
北海道でのIPCクロスカントリースキーワールドカップの開催は、2015年の旭川に続く2度目、バイアスロンの開催は初めて。15カ国から約80名・世界トップレベルの選手が出場した。
日本からはガイドを含む12名の選手が出場。中でも新田佳浩、佐藤圭一、出来島桃子らベテラン勢は2014年ソチパラリンピックの低迷を脱し、世界と戦う力が備わりつつあることを確認した。同時に、平昌パラリンピック後の主力を目指す若手選手、新田のんの、星澤克らが経験の少ないバイアスロンにも挑戦。トップ選手と同じ舞台で競技を経験した。
2026冬季オリンピック・パラリンピック招致の地で
IPC(国際パラリンピック委員会)ノルディック競技規則により開催されたこの大会は、アジア大会を終えたばかりの北海道と札幌市の行政が会場運営を担当。道内・市内の大学生によるセレモニーのアテンド係、体験コーナーの運営など、競技団体と地域の行政、大学が連携していた。
会場までの送迎バス、場内のレイアウトは、選手だけでなく観客や関係者などにも車椅子ユーザー、歩行困難な人を想定、さまざまな状況での移動を視野に造られ、実際に障害のある人の観戦を促すことになった。
近郊の小学校からは1000人を超える子供達が観戦に訪れた。子供達は障害のある選手のパフォーマンスに驚き、海外選手にサインをねだっていた。障害者のノルディックスキーを通じて、共に楽しむことのできるウインタースポーツの世界にふれたことと思う。
一方、学校行事として観戦にきた子供たちの中には給食の時間など競技をフィニッシュシーンまでを観戦することができなかった人たちもいた。2026札幌招致、2020東京オリンピック・パラリンピックを機会に地域のスポーツ文化を深めるために「競技への理解」「スポーツを楽しむ心」をさらに育んでいきたい。行政、競技団体、市民団体、企業など異なる立場を生かして真の共生社会を考えていく機会にしていけたらと願う。
温もりのある北海道の風土にTDが謝意
IPC側のTD(テクニカル・デリゲイト・競技責任者)ゲオルギー・カディコフ氏は競技を終え、次のように話してくれた。
「コースの整備も射撃の準備も、全てが完璧になされていた。札幌市がやる気と情熱を注いでくれたこと、また、子どもや学生が温かい気持ちで障害者のアスリートを迎えてくれたことに感謝したい」ロシア人のTDは日本のスタッフとの交流を心から楽しんでいた。
ソチパラリンピック(2014年)は、ロシア社会の障害のある人の競技環境だけでなく生活環境も、障害のある人への配慮ある環境に変えたという。昨年リオパラリンピックでのドーピング問題でロシア選手らの参加はなかったが、2015年に旭川を訪れたロシアチームの選手は練習を続け、現在は一般のクロスカントリーで意義のある大会に参加していることなど話してくれた。
荒井監督、大学でパラスポーツの授業開講「北海道でパラウィンターも広まれ!」
長野パラリンピック(1998年)から日本チームを率いる荒井秀樹監督は、選手への指導に力を入れる一方で、パラスポーツの注目度を上げるための2つの課題に取り組んでいる。それは、冬季スポーツの環境のある北海道での「パラリンピアンの発掘」と、今後の「パラスポーツを盛り上げていく若者の育成」だ。
世界有数のウィンタースポーツの環境をもつ北海道で、今パラリンピックの選手が育っていないという課題がある。長野パラリンピック選手団には北海道出身者は16名いたが、2014年ソチパラリンピックの際にはたった2名に激減した。
「もう一度、北海道でパラリンピアンを育てていくことが必要だ」と荒井監督は語る。子供達にパラスポーツの体験を提供したり、選手の練習場所に障害のある子供を招待するなど、北海道全体で選手の発掘に取り組もうと呼びかけている。
札幌市が2026冬季オリンピック・パラリンピックの招致を決定し、荒井監督は、昨年7月、札幌市長にパラリンピックのワールドカップも札幌で開催したいと提案。今大会の開催につながった。
荒井監督は、昨年4月から札幌大学で「パラリピック概論」の授業を開講した。札幌市立大学や、他の北海道内の大学にも、授業を展開していこうと計画中だ。今大会でフラワーセレモニーや障害者スポーツ体験コーナーの運営は、荒井監督の呼びかけに応じた札幌大学をはじめとした北海道内の大学生だった。
「将来的にはパラの国際大会を学生たちで運営していくようなスタイルにしていきたいと考えています」と、語る荒井監督。理想を得たのは、長野パラリンピックでの学生の活躍だった。当時スタッフ不足に困っていると、意義を感じ手を挙げてくれたのが学生ボランティアだったという。当時の学生が今、コーチなどとして競技の現場で活躍している。
「知るともっと知りたくなる、勉強する、そして体験する、実際に行動を起こすというような教育の発達をやっていくのが重要だと思う」と、荒井監督は話していた。
フラワーセレモニーの運営にたずさわった札幌大学3年の佐藤大介さんは、北海道のスポーツを学ぶ大学の授業を通じて初めてパラスポーツに触れ、もっと知りたいとの思いで大会ボランティアへの参加を決めた。
「将来は札幌市に就職を考えていて、スポーツ振興課に勤めてみたいと思っています。その中でも障害者スポーツの担当で、障害者スポーツの普及と、障害のある選手の方々が活動しやすい環境を作っていきたい」と将来への夢を語ってくれた。
(取材・動画撮影協力:8bitNews井上香澄)
8bitNews記事:http://8bitnews.org/?p=9233