9月19日(現地時間)、リオパラリンピック・閉会式の翌日に日本選手団解団式がリオデジャネイロ市内のホテルで行われた。式には、競技を終えた選手、スタッフ、選手団を支えた現地のボランティアらが参加した。
先月、金メダル12個を含む過去最多の41個のメダルを獲得したオリンピック日本選手団の華やかな成績とは裏腹に、パラリンピックでは金メダルはなく、銀と銅メダルの合計は24個にとどまった。
日本選手団団長・大槻洋也は「当初目標だった金メダル10個には及ばなかった。この事実を踏まえ、各競技団体は客観的に結果を分析して強化につなげたい」と語った。
<各メダルについて>
競泳: 7個(銀2・銅5)。複数のメダルを獲得したのは、水泳の木村敬一の4つ(銀2・銅2)で、木村は「目標の金には届かずその時点では悔しい気持ちしかなかったが、多くの祝福の声が届き、4つのメダルがよかったのかなと思えるようになった」と話した。
また知的障害の津川拓也と中島啓智がそれぞれ銅メダルを獲得した。
メダルに繋がらなかったが、6年のブランクを経て46歳でリレーを含む6種目に出場、アテネのタイムに100分の1秒近づき、アジア記録を更新した成田真由美は、
「記録が伸びたことは練習の成果。組織委員会の理事として東京へ持って帰り、いろんな場で発信していきたい。ブラジルの人は自国の選手はもちろん、ブラジル以外の選手にも拍手をしてくれ大きな観客の力感じた。日本でもこのように迎え入れることができたらと思う。競泳の中で金メダル候補はいた。新たなメダリストも四人誕生したが、世界のレベルが上がっている。海外ではパラ専門の施設が充実しているということがあるが、日本では身近な施設を日常的に使えるようになるといいと思います」と話した。
陸上(マラソン含む):7個(銀4・銅3)。初出場の佐藤友祈が2つの銀メダルを、金メダルを期待されていた山本篤は銀メダル、リレーで銅メダルを獲得した。
マラソンでタイヤのパンクなどもありメダル争いに絡めなかったものの完走を果たした久保恒三は解団式の後「残念なレースでしたが、リオに出場できたことは東京に大きくつながる経験となった。東京ではメダルを手にします、見ていてください」と話してくれた。
自転車:銀2個。ロードで藤田正樹、鹿沼由理恵がそれぞれ銀メダルを獲得した。自転車競技最終日にイラン人選手が死亡するというパラリンピック史上初の競技事故が起き、世界中が騒然とした中で競技を終えた。
ウィルチェアラグビー:銅メダル。チームスポーツでは、世界ランク3位で大会にのぞんだウィルチェアラグビーで、オーストラリアが大きな力をつける中で強豪カナダを倒し、銅メダルを獲得した。大会で多くの得点をもたらした池崎大輔は次のように話してくれた。
「勝った時は4年間の思いが詰まった瞬間で嬉しかった。一夜明けて、目標は金メダルで、そこに届かず、悔しさ半分、嬉しさ半分となった。ウィルチェアラグビーの歴史に残る大会になったと思う。素直に喜んでいいと思う。パラリンピックは世界の選手が強くなって出てくる。メダルを取って終わりではなく、パラスポーツの普及をしていくためにダルを取り続け、チームが増えていけばと思う」と、話した。また、池崎は、7月に手首の怪我をしていた「1ヶ月くらい競技ができず、どうやってモチベーションを維持していけるか、という中で、チームに支えられ戻していったという「周囲に支えられた大会で、メダルは金ではなく、銅ですが、すごく重いメダルです」とも話した。
柔道:4個(銀1・銅3)57kg級で廣瀬順子がアテネ以来の柔道女子の取り組みで初のメダルを獲得、柔道全体で史上最多の4個(銀1・銅3)のメダルを獲得した。
車いすテニス:銅2個。では、世界的にその成長を注目される若手女子・上地結衣がシングルス銅メダル、怪我から復帰したばかりの国枝慎吾と齋田悟司の男子ダブルスが銅メダルを獲得した。
ボッチャ:銀メダル。混合団体BC1−2で銀メダル。パラリンピック日本代表ボッチャ史上初のメダル獲得した。
日本障がい者スポーツ協会の鳥原会長は「金メダルは逃したが、総メダル数では前回ロンドン大会を上回る。新しい種目でメダルを取り、若い選手の活躍も目立った。大いに希望の持てる大会だった」と総括した。