リオ・デ・ジャネイロの人々はパラリンピックを心から楽しんでいる。
大会開幕前に報じられていたチケット販売不振のニュースは過去のものとなり、先週末(9月10日、11日)にオリンピック・パークで開催された競技のチケットは、木曜日の時点で「完売」の張り紙が出された。会場へ向かうメトロやバスは、家族や友人とパラリンピックを楽しみに行く人でいっぱいで、各会場の入り口には長蛇の列が出来ていた。混雑しているバスの中でも、強い日差しの下で列に並んでいても、人々は笑顔で、至る所から笑い声が聞こえてくる。どんなことであろうと楽しんでしまうのが彼らの「流儀」なのだ。
1週間観客としてパラリンピックを体験し、いくつもの「流儀」が見えてきた。
その1つは、競技開始時間を気にしないこと。例えば10時スタートだとすると、10時の観客席は人もまばらなことが多い。だが徐々に観客が増え、気が付くと満員になっていることもあった。中にはもう競技が終わるという時間に入ってくる人もいて驚かされる。日本人とは異なる、良くも悪くもゆっくりとした時間感覚は、おそらくチケット販売にも影響していたのだろう。始まってもいない大会のチケットを事前に買うのは、彼らの「流儀」に反するのかもしれない。
最もインパクトのある「流儀」は、観客席でとにかく大声を出し歌って踊ること。良いプレーがあれば大きな声と拍手が起こり、競技の合間に音楽がかかると立ち上がって踊り出す。競技が膠着状態に陥るなどして動きの無い時間が続くと、我慢できずに展開に関係なくウェーブを繰り出す。そして、どの国の選手であろうと、観客席に向かって手を上げたり煽るような仕草をすれば、大歓声でそれに応える。少しでも盛り上がるチャンスがあれば、それを逃さないのもブラジル人の「流儀」なのだ。
この「流儀は」選手にも大きく影響している。盛り上がるのは良いが、ゴールボール会場で歓声が静まらずに選手のプレーに支障が出たり、審判が少しでもブラジル人選手に不利な判定をしたと思えば、それが事実であろうとなかろうと、耳をつんざくようなブーイングが湧き起こることもあった。また、陸上の走幅跳では、選手が要求していないのに手拍子が始まり、自分のタイミングで助走に入るのに苦労している選手もいた。
このように状況によっては敵にも味方にもなり得るブラジル人観客。無論、観戦ルールを守った上で楽しむのが大原則であり、ゴールボールでの一件のようなことは起こってはならないと思う。だが彼らの立場で考えてみれば、お金を払って入場券を買いスポーツを観に来ているのだから、その分は何であれ楽しんでいく。これが自然な考え方なのかもしれない。賛否両論はあろうが、それこそがブラジル人のスポーツ観戦における最大の「流儀」なのではないだろうか。
観客席で湧き起こるチャントの1つでは、こう歌われている。
Eu sou brasileiro,
com muito orgulho,
com muito amor!
私はブラジル人
大きな誇りと
深い愛を持って!
彼らはブラジルを愛し、自らの「流儀」に誇りを持っている。大会がリオで開催されている以上、理不尽なことや納得できないことがあっても、その「流儀」を受け入れ上手く利用していくしかない。それが、世界の様々な都市が舞台となるパラリンピックの魅力ではないだろうか。
2020年の東京では、日本人がその「流儀」を世界に発信する役割を担うこととなる。世界中から集まる人々にどのような印象を与えられるのか、今から楽しみでならない。