2004年8月13日、今回のアテネパラリンピックに栃木県選出の選手がいないことに疑問を持ち、手がかりを見つけに栃木県宇都宮市若草にある栃木県障害者スポーツ協会を訪ねてみた。 丁寧に対応にあたってくださった協会のKさんに、今回の選手不在について、栃木県の障害者スポーツを取り巻く状況で他県にはない問題があるのかどうかを投げかけてみたところ、Kさんは 「競技スポーツは余力が無くてはできません。この不況で健常者ですら就職出来ない状況の中、障害者が就職し、競技スポーツに関わり、そして余力を持って上を目指すという事が出来る人間はほんの一握りです。」 と甘い認識を持っていた私に、障害者にのしかかる厳しい現実を静かに話してくれた。 しかし、協会もただ黙って見ているわけではなく、年数回会報を発行したり、大会を開くなど地道に活動を続けたり、障害者スポーツの認知をあげる努力を行っている。 近年、特に変わってきているのは、知的障害者の一般理解が上がり、保護者も障害児と共に大会に参加する数が増えているらしい。大会に参加し、自信がつき、障害者自身に良い変革が現れることからも参加数を延ばしている要因となっているようである。 協会が今力を注いでいるのが、障害者スポーツ指導員の養成で、平成16年度は50名の参加があった。意識は高いが、まだ指導者としてはスタートラインに立ったばかり。Kさんはこれに対し 「この指導員に各自治体に所属する指導経験の豊富な体育指導員があたれば、隠れた選手の発掘に有効であり、栃木のパラリンピック選手誕生の強力な手段になるはずです。」 確かに全ての各自治体に登録する指導経験の豊富な体育指導員が障害者スポーツ指導にあたることができれば、有効な手段だといえる。問題は体育指導員の意識変革である。これも又長い道が必要だろう。しかし、達成されたすぐ先の未来には、月桂樹の冠を被り微笑む数多くの日本、そして栃木県選出のパラリンピックの選手がカメラに写るだろう。今回栃木の問題点まではたどり着けなかったが、こちらも長い目でさぐってゆければと思う (2004/08/23)
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