パラフォトニュース
記事掲載日:2004/06/17

柔の道を行こう!  視覚障害柔道 第4回

 「どの代表選手も、メダルをとれる可能性をもっている」。

 パラリンピック・ソウル大会、アトランタ大会の視覚障害者柔道で金メダルを獲得し、現在は、日本パラリンピック運営委員会で運営委員を務める牛窪多喜男さん(54歳)は、アテネ大会の柔道代表選手たちについて、こう語る。日本代表の選手は、試合で一本をとれる技を備えており、自分の得意技にもっていくことができれば試合に勝てると期待を寄せている。

 しかし、一方で、牛窪さんは、「視覚障害者柔道に関われば関わるほど、これではいけないと思う」と話す。日本の視覚障害者柔道を取り巻く環境について、危機感を募らせているからだ。
 
 今回のインタビューでは、選手としての競技経験を持ち、現在は、自宅に併設した道場で柔道の指導にも取り組んでいる牛窪さんに、視覚障害者柔道の現状や課題をテーマに話を聞いた。
 
●日本の視覚障害者柔道はもっと競技性を

「日本の視覚障害者柔道は、福祉の枠を脱していない。世界では競技としての位置づけを確立しているんです」。
牛窪さんは、日本の現状について、こう説明する。

障害者スポーツは、「楽しみ」としてする人もいれば、リハビリテーションの手段としてする人もいる。パラリンピックも、もともとは、リハビリテーションとしてスポーツを行う人の大会として始まった。しかし、ソウル大会以降は、リハビリテーションとしてのスポーツではなく、競技としてのスポーツという位置づけを強めている。近年、パラリンピックとオリンピックの開催地が同じになったのも、その現われのひとつだ。視覚障害者柔道も、当然、このような流れの中にある。

牛窪さんは、海外では視覚障害者柔道を競技としてとらえ、練習環境を整えているのに対し、国内では盲学校の教師が生徒に教えるかたちが主流で、競技としての位置づけを確立していないと指摘する。

オリンピックの競技に出場する選手には、食事や筋肉トレーニングなど様々な専門的なサポートがある。視覚障害者柔道に競技として取り組んでいる海外の国々では、オリンピック選手と同じような練習環境があるという。たとえば、健常者の選手とともに練習をしたり、専門のコーチがついて練習するかたちをとっている。

 「日本では、これまでは選手個人の努力でメダルを獲得してきたが、これからは、それではメダルがとれない」と牛窪さん。
日本選手が個人で努力しても、充実した環境で練習している海外選手に対抗するには限界があると考えている。

日本の視覚障害者柔道の現状を示す指標がある。パラリンピックで獲得した金メダルの数だ。
柔道が初めて競技として組み込まれたソウル大会では、出場6人に対し金メダル4。バルセロナでは出場7人に対し3、アトランタでは7人に対し2、シドニーは5人に対し金メダルが1だった。日本選手が獲得した金メダルの数は、大会を重ねるごとに減っている。

●選手をすくい上げるような環境整備を

「鍛え上げようとする選手をすくいあげるような活動が必要です」。
 牛窪さんは、こう提案する。
 
 パラリンピックの視覚障害者柔道では、素質の優れていることで選手がメダルを獲得していた時代は終わり、素質に加えて、専門的な指導を受けた選手がメダルを競う時代に入った。このため、日本選手がパラリンピックで勝つためには、専門的な柔道の指導が必要だと強調する。
 
 例えば、日本選手の多くは、技の1つひとつは優れているが、技を組み合わせる連絡技が十分でない。また、対戦の可能性がある海外選手について事前に情報を入手するなど研究して試合に臨む環境がない。牛窪さんは、連絡技の指導や海外選手の分析のようなサポートは、コーチなど周囲の取り組みが不可欠と考えている。
 ただし、これらを実現するには、指導者の意識改革や、学校教育は文部科学省、障害者スポーツは厚生労働省という縦割り行政の問題など、様々な課題を解消していかなければならない。
 
 「選手は限界の中で100%の挑戦をしている。金メダルはとれなくても、精一杯やったという魂を救ってやりたい。そのための練習環境をつくってやりたい」。
 選手から指導者となった牛窪さん。柔道への思いは、人一倍、熱い。
 

【2004年6月17日 河原由香里】

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