コラム・取材こぼればなし
神々も初観戦!・その1
5月8日(土)〜9(日)、さいたま市にある埼玉県障害者交流センターでジャパンパラリンピックアーチェリー競技大会が行われた。会場には、アテネパラリンピックへの出場がきまった選手を含むアーチャー52名(男子39名、女子13名)が全国から集まった。
アーチェリー競技の特徴は、身体的な障害の有無に左右されない競技の一つでもあることだろう。エチオピア出身のオリンピアンで、1960年のローマ、64年の東京オリンピック・マラソンの金メダリストとして有名なアベベ・ピキラが事故で下半身不随となってから出場したパラリンピック種目がアーチェリーであったし、1984年ロサンゼルス・オリンピックではニュージーランドの女子・ネローリ・フェアフォールは下半身不随であったが車椅子で参加したという。そして今回、日本代表に選出された小野寺公正は国体選手としても現役である。
そんな長い歴史をもつアーチェリー競技の一幕、ジャパンパラリンピックは、国内最大・最高峰の障害者アーチェリー大会と位置づけられている。最終日、あいにくの雨と風の中、アテネ出場が決定している選手を追ってみた。
女子の決勝トーナメントで、車椅子クラス世界ランキング1位の平沢奈古(埼玉県)が、最年少の中西彩(奈良県)に2回のシュートオフのすえ破れ、2位となったが、得点では大会新記録を更新し実力を見せた。試合後、中西選手は「前回の大会で負けた方なので、緊張しました。最後は、相手の力を借りるような気持ちで打つことができました。」と初優勝の感想を語った。その他、総合成績で米澤昌子(北海道)が3位、磯崎直美(神奈川県)が4位となり、上位4位をパラリンピアンが占めた。
男子トーナメント戦では、フェスピック(アジア・南太平洋障害者スポーツアジア大会)でモンゴルの選手に破れ2年連続銀メダルの小野寺公正(東京都)は順々決勝で敗れて4位、同じくフェスピック銅メダルの佐古田伸治(高知県)は、今大会3位の宮本幸夫(三重県)に破れ決勝戦への進出は果たせなかった。決勝戦は、齋藤紳一(千葉県)とベテラン・南浩一(埼玉県)が競い、パラリンピアン・南が優勝を果たした。今大会での小野寺選手について、日本代表チームのコーチをしている山中修さんは、「6割の力しか出ていない。まだ力を出し切っていない」と言う。
午後になり、風雨がほんの少しだけ強くなった。天候が良くなかったということもあり、選手たちとアテネの気候の話題になった。アテネはどうやら「風の街」らしい。夏季ということもあるため、気温が低いことはないだろうが、アウトドアで行うアーチェリーは、インドアのものとは違い、自然が相手と言っても過言ではないだろう。「風対策が最も重要だ」と山中コーチも言う。そうなると、車椅子の選手より、立位の選手のほうが気候の影響を受け、不利になるのではないかと考える。2002年のフェスピック釜山大会の時、国際大会に初めて参加し、銀メダルを獲得した小野寺選手が、義足に風を受けるとバランスを崩しやすいということを言っていたのを思い出さずにいられない。
今大会も終わり、会場をあとにした。
つぎは、高知での合宿が、アテネまでの最後の合同練習の時間となる。
【佐々木延江】