前回に引き続き、日本チームから生まれた金メダリストの横顔を紹介していきましょう。大日方邦子選手(LW12/2)に続いて登場するのは、男子LW3+LW5/7+LW9クラス優勝の東海将彦選手(LW3/2)です。彼のことをすでにご存じの方は、まだ少ないかもしれません。今から2年前に、まさに彗星のごとく登場した選手ですから、それも当然といえば当然です。
2002年2月、ソルトレイク・パラリンピックを目前に控えたジャパンパラリンピックのジャイアントスラローム。
コース上でカメラを構えていた私は、一瞬、何が起きたのか理解できませんでした。ファインダーの中を、「とても速い健常者」が通り過ぎていったようにしか思えなかったからです。恥ずかしながらピントを外してしまったその選手が、東海将彦というニューフェイスであることを知ったのは、レース後の表彰式で金メダルを受ける彼の姿を見たときでした。
表彰式の後、彼から直接、話を聞きました。高校、大学とアメリカに留学していたこと。その目的のひとつがアルペンスキーであったこと。現地の大会で上位に入ることも少なくなかったこと。帰国後は、家業を手伝いつつ、スキーの指導もしていたこと。そして、軽い気持ちから飛んだジャンプで腰から落ち、脊髄損傷を負ったこと……。
「脊髄損傷=チェアスキー」と思いこんでいた私にとって、健常者と同じく2本のスキー板と2本のストックで滑る彼のスタイル、そしてその速さは、まったくの想定外でした。東海選手の場合、両下肢に麻痺があるものの、歩くこともできます。右脚はやや軽度ですが、左脚の状態は重く、歩く姿は大変そうに見えます。しかし、ひとたび雪上に出れば、そんな障害を感じさせないほどのスピードとテクニックでコースを滑り降りていくのです。直後に迫っていたソルトレイク・パラリンピックはさすがに無理としても、4年後のトリノ・パラリンピックでは貴重な戦力になり得る、そう確信しました。2種目とも制したこのレースが決め手となり、東海選手は2002/2003シーズンの強化指定を受けます。国内トレーニングを順調にこなし、そしてワールドカップ遠征にも加わって、世界にデビュー。立位クラスがすべて統合された中で、8位と6位というひとケタ入賞を記録したのです。この遠征で、彼が世界のトップレベルで充分に戦えるということは、充分に証明されました。それと同時に、連戦を乗り切るためのコンディション調整の重要性もまた、浮き彫りになったといえます。
東海選手の最大の敵は「疲労」です。どの選手もそうだとは思いますが、彼の場合、その疲労が目に見えてわかるほど、滑りに大きな影響を及ぼすのです。もともと障害の重い左脚は、疲れがたまると滑走中にもガクガクと震えるようになり、雪面をとらえ続けようとする意志に反して、スキー板を押さえきれなくなります。
実は今回の遠征でも、世界選手権の前に東海選手の疲労は相当なレベルに達していました。ワールドカップ4連戦で2勝を挙げる大活躍の裏側で、やはりかなりの負担が身体にかかっていたのでしょう。最初の種目であるダウンヒルでの転倒も、ゴール直前で脚が限界に達したためのものでした。
そして、そのすぐ翌日がスーパーG。高速ターンが連続し、とても大きな力が身体にかかってくる厳しい種目です。しかし東海選手は、むずかしいコースと暴れる脚を、テクニックでねじ伏せました。写真を見ていただければわかると思いますが、このターンでも一瞬、左スキーがグリップを失い、宙に浮いています。ところが次の瞬間、その左スキーは何事もなかったかのように、ふたたびしっかりと雪面をとらえています。このように、致命的なミスにつながりかねない挙動を一瞬で抑えてしまえるところが、東海選手のテクニックのすばらしさであり、スーパーGを制した勝因のひとつといえるでしょう。
★パラフォト用特別レポート 第3回/この特別レポートでは、オフィシャルレポートでは伝えきれない内容をお届けしたいと考えています。よろしくお付き合いください。
【堀切】
※写真は、ニコン提供の最新デジタルカメラD2Hにより撮影されています。